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2015-04-04

コッケイ

音楽が形になるのはほんとうに素晴らしいこと


いくつもの条件を乗りこえた先にようやく陽の目をみるから




音楽制作にlogicを導入したにもかかわらず、
曲を書くとき、いまだに手書きの譜面を書いてるわけですが、
あらためて思うのが、


1曲が完成するまでに、いくつもの審査を通過しているということ


Sheet_1


曲を書きはじめるとき、それはシンセサイザーで音色を作っているときや
なにげに即興しているとき、またはリズムトラックを作っているとき、
色々なパターンがあります。

その時間のなかで、直感、インスピレーションが湧いたら、
リフというか、短いメロディーみたいなもの、コード進行などを
手書きの譜面に書いていきます。

ちなみに、唄がメインの曲はほとんどが詩から作られます。


この時はまだ曲の全貌は見えてなくて、けれど想像の中で
見えている時もありますが、結局はスケッチ程度。

今までどれだけのスケッチを書いたのかは数えていませんが、
音楽になる前の断片、ちりのようなものがたくさんあります。
(第一審査)




スケッチの中から、幸運にも「展開」が見えたものが
次の段階へ進むことができます。

展開とは点を線にできる要素のことです。

例えば、核となるメロディーやコードのほかに
リズムトラックやシーケンスフレーズが浮かんだり、
何かおもしろいアイデアが浮かんだりすると
スケッチが音楽の装いをかすかに帯びてくるわけです。

この時点で何かしらの機材に実際にレコーディングして残します。
(オーディオやMIDIデータとして)


Fd_1


(Tritonの打ち込みデータ保存にいまだに2HDのフロッピーディスクを使ってます)

そして、これが重要なことですが、
tinorksの場合、フルートなどの生楽器でそのフレーズが
音域や奏法のすべてを考慮して、調和しそうかどうかをこの時に試します。

それが問題なさそうなら
この段階で漬物とかと同じようにいったん曲を「寝かせ」ます。

熟成という意味ではなくて、脳に考えさせるという意味で。
(第二審査)


音楽に成りかけたほとんどのものは、この段階で大きく振いにかけられます。

そのものにそもそも大きなエネルギーが宿っているかどうか、
曲のコンセプトやタイトルなども含めて脳に審査されます。




だいたい6割くらいが第二審査でボツになったあと、
残り4割が本腰をいれてのアレンジ作業に進むことができます。

曲の構成、展開を作り、音楽として最初に形になるのがこの段階。
いわゆるデモ音源となります。

主要なリズムトラックや他パートを具体的に作っていきます。

この時点である程度、その曲の方向性、表現するものが
はっきりとしてきます。

けれども、作り込みはしておらず、ましてや、
生楽器の録り音はデモの段階であり、
ギターのパートも入っていない状態。

この状態で再び寝かせます。
(第三審査)

この第三審査でボツになると、
非常にへこむわけです。(涙)


Micrsam_1




時間がある程度経過した後、(数週間~2年程度)
再度デモ曲を聴いて、インスピレーションの湧いたものをピックアップ、
ギターや生楽器のパートを録音して行き、
すべてのパートが揃った段階で、リズムトラックを中心に
各パートの作り込みをしていきます。

繰り返し聴いて、編集しての繰り返しを延々とおこないます。

アレンジが完成したら再び寝かせます。
(第四審査)

ほとんどの曲は次の審査に進めますが、
ときおり、ライブでの演奏やイメージと違うなどの理由で
お蔵入りになります。

へこむ以上の気持ちになり、逆にその曲に対して愛着が高くなります。






ある程度の期間が経過した後、脳をフレッシュな状態にし、
mixの作業を行います。

mixは複数の曲を平行して進ませます。
耳をある程度新鮮な状態に、偏りをなくすためです。

この段階に進んだ曲は、マスタリングの作業を経て
ほぼすべて音源として発表されます。
(第五審査)

マスタリングの段階でヴァージョン違いが生まれた時は
お蔵入りになることもありますが、曲そのものとしてはボツになったことは
今までありませんでした。




計、5段階の審査を乗りこえて、ようやく陽の目をみる曲

それだけに、よくぞ生まれてきてくれたと、音源を作り終えたときはいつも思います。




「クジラが空を飛んだ日」は2012年にライブのために一度演奏してから
3年の月日が経った2015年に『ODOMYUNICA』の特典音源として発表することができました。





たかが1曲、他と同様に今までにたくさん書いた曲のうちの1曲には間違いないですが、
その曲がもともと持っているエネルギーがあったからこそ、
月日が経っても、陽があたる場所にたどり着くことができたと思います。




もともとエネルギーのない曲をすばらしいアレンジでいかに取りつくろうとも
それは完成までに朽ち果てるし、逆にエネルギーを宿している曲は
こちらが考えなくとも完成までの道のりを示してくれる気がします。

ライブで何回も演奏していると、その曲の様子が変化していくように、
音楽を書いた瞬間から、それはまるで生き物のように存在し、
成長していくと感じます。

生命力がない音楽は制作側の意志とは関係なく死んでいくし、
生命力がある音楽は世紀を超えても生きつづける。

この世に生まれた音楽は自分の分身だとも思うし、
一方、自分とは全く違う生命体の結晶だとも思う。

音楽を書いていて煮詰まることも多いですが、
陽のあたる場所にたどりつくことのできる楽曲、
それが名曲かどうかは別にして、
楽曲そのものの生命力によるものだと考えると、
アレンジしている自分自身は一体何なのか、
ある意味滑稽に見えてくるので
それはそれでおもしろいなと思う今日この頃。






建水

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