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2015-06-23

その時 その風景 にいた

6月19日から22日まで京都KAIKAにて
演奏で参加させていただいた
ikiwonomu(いきをのむ)第一回マイム公演

『かつての風景』

無事に全公演終了となりました。


_live


たくさんの方々にご来場いただいた作品に
たずさわれたこと本当にtinörksとしてうれしく思います。

作品の物語については
ご覧いただいた方の細部までとても丁寧につづられた記事が
こちらにありますので、(読んでいると涙腺がやばくなる。。。)

http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/70-f77d.html

それを読んでいただくとして、
ここでは僕自身の「想い」を書きます。





『かつての風景』は無言劇である「マイム」作品です。
けれど、要所にセリフがありますし、音楽もあります。

ikiwonomuのユニットを立ち上げられた黒木夏海さんから
音楽のご依頼をいただいた時、
マイムについて全くと言っていいほど知識がない
超素人な僕は、マイムについて知ることから
はじめました。

クロード・キプニス著「パントマイムのすべて」を読んだり、
インターネットで調べたり。
過去に上演された作品の動画を拝見させていただいたり。

そこにはマイムについて無知な自分が大きな作品に関わることに対しての
目には見えない恐怖心があったのだと思います。

気持ちが身構えていたのか。




けれど、最初の通し稽古を拝見させていただいた時に、
マイムの構成要素よりも、別の何か。

役者の方々はとても技術が高いのはもちろんですが、
それを見せるよりもむしろ、こちらが想像するための余白を
大切にされていることに気がつきました。

見ている側をいつの間にか導いてくれる
おだやかに存在している想像の余白




ふと目の前には物語に登場する風景が広がっていました。




それは手段こそ違うけれどtinörksの音楽と同じだと。

演奏のご依頼をいただいた理由が
その時、なんとなく分かったような気がしました。




今回、作品のテーマ曲的に扱っていただいた
tinörksの「空の余白」

2011年に書いたこの曲は、
言葉ですべてを埋めるのではなくて、
言葉がなくても伝えることができるし、
そこに流れるおだやかさを描いたものでした。

2012年以降、特に最近ではまったく演奏していなかった曲でしたが、
4年経った今、まさかこういう形で、日の目をあてて
いただけるとは思ってもいませんでした。
(「空の余白」も喜んでいると思います)

心にも拠り所が必要なように、
音楽にも拠り所となる風景が必要だと思うから。




詩にも書きましたが、
言葉で伝えないからこそ、伝えられた方は
それをくみ取る過程において、
心の場所を知ることができる気がします。




人は何かを伝える時、2種類あると思います。

ひとつは、伝えたい内容を事細かにひとつ残らず、すべて伝えること。

もうひとつは、伝えたい内容を言葉以外の要素で導く方法。

tinörksの音楽が後者であるように、黒木さんが表現しようと
されている作品も言葉以外の要素を研ぎ澄ませることによって、
たとえセリフがなかったとしても、あたかも観ている側の心の内で
セルフが聞こえてくるかのように、心に風景を投影させようとしているのだと。

そしてその風景は、当初心の内にだけに広がっていたにもかかわらず、
いつの間にか目の前に、あたかもそれが現実の風景として存在しているかのように
思わせてくれるのだと。




あると思っていたものが、あえてなかった時、
人はその「あえて、ないもの」に静かに
けれど深く、強烈に心を揺さぶられる不思議な生き物だと思います。

また一方、時として、限りない静寂によって、
心の声をはっきりと感じられるように。

「ない」であることは、それまでその存在に
気づかなかったたくさんのもの、ことを
はっきりと気づかせてくれるように作用します。




ikiwonomu いきをのむ




その瞬間、音のない言葉が響いている






マイム作品と言えども『かつての風景』には
要所でセリフがありますし、加えて効果音もtinörksの音楽もあります。

実際に黒木さんに伺ったわけではないですが、
マイム作品でありながらセリフや音を入れることに対して、
大変な葛藤があったことは推測できます。

どんな表現にも苦悩はつきもので、
それが公に公演する作品ともなれば、
「伝え方」に対しての葛藤は、本人以外の想像を
はるかに超えるものになると思われます。




自分自身がマイムに無知な者であることを分かった上で、
勇気を出して書きますが、
マイム作品だからといって、セリフや音をまったく必要としないのも
もちろん素晴らしいと思います。
けれど、時としてどうしても必要であるのならば
声、言葉、音を使うことは自然な流れだと思います。

マイムというのはあくまで表現手段のひとつであって、
本当に大切なのは、その作品自体であると思うから。




少し話がそれますが、初めて会った人に
音楽を作ってますと言うと、
たいてい「どんな音楽ですか?ジャンルは?音楽性が近いアーティストは?」
と聞かれますが、便宜上、「北欧エレクトロニカ」ですと答えます。

相手はたいてい「?」ですが。

決してジャンルで音楽を作っているわけではないので、
エレクトロと言っても、生楽器をたくさん使いますし、
日本語の唄もあるので、言葉から音楽に近づいて
行こうとすればするほど、どんどん分からなくなり、
遠くなっていきます。




話を元に戻して、
なので、マイム作品と位置付けていても、
それに固執しているという意味ではなくて、
あくまでもマイムをベースにしたひとつの
しっかりとした作品として、僕は捉えて
音楽で出来る限りのことをしようと臨ませていただきました。
(音楽以外の宣伝動画や他コンテンツも勝手に制作していたので
でしゃばった感は否めませんが。。。反省。。。)

劇中で音楽を演奏する場面は、役者の方が、
セリフを言っているような感覚で音を添えるように。
はたまた、目の前の空間にだけ流れる時間を操るように。

あるいは、暗闇の中、それぞれの胸の内にだけに灯る風景に
音を添えるように。




公演が進むにつれて黒木さんの演出や役者の方々の表現が
さらに研ぎ澄まされていき、tinörksの音楽や照明、効果音のタイミングも含めて
そのどれもが感化されていたように思います。

ひとつひとつの場面、動作に、観ている方は、それぞれに無限の想像をふくらませ、
自分の心に出会い、触れて、静かに打ち寄せる波のように
おだやかになっていく。

目の前で繰り広げられる物語が、実はいつのまにか自分の心の中で
繰り広げられていることに気がついて、
波が引いていくように、どこかに吸い込まれそうになる。




tinörksのHomingという曲
おじいちゃんとおばあちゃんの回想シーンに合わせて
少しアレンジを変えて演奏していましたが、
途中、プロポーズのシーンに入ると、オリジナルのHomingにはない
雫がレインスティックを奏でるセクションがあります。

それまで、Homingを演奏していた雫が急に
レインスティックで波の音を表現する。

それは、シーンの効果音としての意味合いが強くなるけれど、
Homingの曲にも違和感なく融合しているので、
つまり、音楽を演奏しているのか、効果音を鳴らしているのかが
とても曖昧に感じられ、自分としてはとても興味深く感じられて
鳥肌な瞬間でした。

音楽とシーンの曖昧さ加減
表現のひとつの可能性。




マイムとtinörksの組み合わせ

一見すると異色に感じますが、
表現手段は違えど、余白を大切にしたい気持ちが
あるのなら本質的には異色の組み合わせではないこと。

公演を終えた今、人の心の場所をおだやかに教えてくれる
すばらしい作品であったことを改めて思います。

そして、その作品に携われたことを幸せに感じます。




ご鑑賞いただきましたすべてのみなさま、
ありがとうございました。


岡村渉さん、携帯電話を切る際の演出ご指導ありがとうございました。

菅原ゆうきさん、たくさんささいな気配りをしていただいてありがとうございました。
2回目のRailnoscapeのstopの場所は、いつもいい緊張感がありました。

豊島勇士さん、ささいなTWまでひろっていただいてありがとうございました。

仲谷萌さん、ストイックに取り組む姿勢にいつも影響を受けていました。ありがとうございました。

北方こだちさん、舞台作品に慣れていないtinörksへのたくさんのお気遣い、
ご配慮ありがとうございました。ヨーグルトの発酵進捗いかがでしょうか?

根来直義さん、特に青白いオーロラの光、最高でした。光の種類にも感動しましたが、
タイミングが神がかってました。ありがとうございました。

森永キョロちゃん、何から何まで演奏しやすい環境を作っていただいて感謝しています。
ありがとうございました。いつもマジック借りてごめんなさい。。。

名前がすぐにでてこなくてすいません、支えていただいたすべてのスタッフの皆さま、
ありがとうございました。

それから、シズーキーと霜野さん
ふたりがいてくれるので最高の音を奏でられます。
心から信頼しています。感謝しています。
ありがとう。

そして、そして、黒木夏海さん、
あの日、きんせ旅館で僕らに気さくに声をかけていただいて、
とても丁寧に描かれたすばらしい作品に演奏として
参加させていただけたことは一生の宝物です。

マイム作品としての「かつての風景」とは別に
作品に携われた時間は僕にとって、tinörksにとっても
とても失うことができない
「かつての風景」になりました。

ライブをして涙を流すことは今まで一度もありませんでした。
そしてこの記事を書いていて、やっぱりまた溢れてきました。
(言葉で書くとついつい文字数が多くなってしまいますね)

心から感謝しています。

ありがとうございました。






ところでikiwonomuは12月に第二回公演が決定しているとのことで、

60分ほどの「わたしは捨て犬だった。」という作品とのことです。


どうぞお楽しみに。




歩星


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