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2015-06-21

隙を作る

ikiwonomu(いきをのむ)第一回マイム公演「かつての風景」
いよいよ明日が千秋楽です。

まだ終わっていませんが、すでに感慨深いものを感じているのと、
今日、とても大切な気づきがあったので、
どうしても書いておこうと思いました。

今日の公演に、いいむろなおきさんが来られて、
終演後に役者の方々へお話しをされていました。

(いいむろなおきさんはマイム俳優・演出家・振付家であり、
マイムの世界では、神のようなお方です。
youtubeに動画がありますが、
ジャンルは違っても何かしら表現をされているかたが、
いいむろさんの表現を見ると、間違いなく鳥肌が立つと思います。)

僕はご存知の通り、役者ではないですが、
幸運にも、その場に同席させていただくことができて、
(誠に恐縮です)
お話しを拝聴することができました。

そのお話の中で、「演技が上手すぎて切れがありすぎる」、
「お客さんが入り込む余地がもう少しあってもいいのではないか」、
「お客さんにもう少し隙を見せても(魅せても)いいのではないか」と
いう風なことをおっしゃってました。

誤解を恐れずにいうと、
作品の善し悪しや批評をしているのではなく観点と手段の問題です。




ここからは、より個人的な考えを書きます。

表現を極めている方のお話しは
表現の垣根を超えて、どのジャンルにも
あてはまることが多々あります。




さきほどのことを音楽に当てはめて考えました。

「演奏が上手すぎて(隙がない)、だから、聴き手が入り込む余地がない」

(決してtinörksのことを言っているわけではなく
観点を音楽に変えているだけです)

超絶技巧は素晴らしいし、一音も間違えずに何十分にもなる曲を
演奏することももちろん素晴らしいと思います。

僕にはできませんが。

けれど、好きな音楽、好きな表現の世界は、
作り手と受け手が、自然体で同時に存在できる世界です。

それを実現させるために、音楽の知識や技術を最大限投入するのがいいなあと。

音楽の構成、演奏にあえて隙を作る。隙を見せる。

言葉だと簡単に書けますが、これほど難しくて、
そして自然体で魅了できるものはないのでしょう。

少し偉そうに、推測を交えて言うと、
言葉でいうよりも深く伝わるから、それをマイムで表現するように、
言葉や絵、写真よりも伝わるから、音楽を奏でるように、
それらは、できるのにしないという、一種のぎこちなさを
あえて行っている。

けれども、人はそのぎこちなさの中に、
自分の解釈が存在できる安心感を感じたり、
こうでもない、ああでもないという無限の広がりを
感じれる生き物でもある。(と思う。)

つまりは断定せずに、肯定するということ。

隙がないのは、その表現を「断定している」のかもしれない。

観るものを圧倒し、魅了し、感動させてくれるほどの完全なる「断定する」表現。

それはそれで素晴らしく美しいし、それを目指すべきだと素直に思う。
(なかなかたどり着けなく、何回も頓挫しそうになるが)

けれど、人は何かしら不完全であり、不完全なものに安心感や共感を覚えると思う。

そして重要なことは、その不完全さは意図的に作り出すのではなく、
表現の中で自然に出てこなければならない。




「意図せず、隙を作り、不完全だけど完成している」




言葉で説明すればするほど、遠のいて行く気がするこの言葉。

この考え自体も不完全に完成している状態、つまり答えがないままの答えという状態が
もっとも適していると思えてくる。






「空の余白」の詩の中に

「言葉としぐさの余白 埋めないで」

という一節があります。

「かつての風景」の作品を見て、
断定せずに肯定することがどういうことか
教えられた気がします。

演じる人にも隙が必要なら、作品そのものにも隙が必要

音楽も同じだと思います。

そして、いつの時もそのことを忘れずにいたいと思います。




歩星

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