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2016-07-23

音楽が心に帰る場所

楽園とは砂漠の真ん中にあるオアシスを意味するのではなくて、
目の前にある古の響きの中にこそある




先日、休みの日に『のろま庵カフェ』という会に
参加させていただきました。

TINÖRKS(ティノークス)にチェロ奏者として参加してくれている
矢原さんからお誘いいただきました。

きっかけは6月に演奏させていただいた「東谷ズム2016」の
帰り道の車中で矢原さんと古楽器の話で盛り上がり、
その勢いで実際に古楽器を所有して演奏される方のご自宅に
伺わせていただいたことに端を発します。


ライブ後でテンションが上がっている中、見たことも聴いたこともない
たくさんの古楽器の音色を聴いてさらにテンションが上がり、
到底頭では整理しきれないほど、わくわくするような情報の洪水を浴び
もはや何がなんだが分からないうちに、その日は終わりました。

まるでヨーロッパのどこかの街で
1日を過ごしたような空想の気分。

今度はライブの後ではなくて、ゆっくりと楽器の音色やその形状を拝見したいなと
思っていた所、なんとその方のご自宅で
「のろま庵カフェ」という会があり、
幸運にもそれへのお誘いをいただいたわけです。


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ただ、ご存知の通り出不精で、なおかつ
そういう社交的な場やパーティーがどうも苦手で
ためらいはあったのですが、どうしてもまた古楽器の音色を
心に留めたいという気持ちが強く、
参加を決意したわけです。

個人的に色々と反省点はありましたが、
人生に一度訪れるか訪れないかというくらい
幸せな時間を過ごせました。

今まで生きてきたことに感謝
ありがとう人生と言いたいほど

会のはじめに庵主さんが手作りの料理の品々を
振舞われてそれをいただきました。

言葉では表現に限界がありますので
月並みな表現になりますが、
品数も多く、ご馳走の数々で
ほんとにおいしく、
おかわりを何度かさせていただきました。

こういう会に慣れていないので、
恥ずかしながらとまどいもありましたが、
参加された10人で音楽やヨーロッパのことなどを
話しながら美味しいものをいただいて、
食事で心も体も癒されるというのは
毎日の生活の中ではなかなかないことです。


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食事の後は、庵主さんと番頭さんと参加者を交えて
バロック音楽からルネサンス期の音楽を実際に
演奏して聴かせていただきました。

ヴィロラダガンバ、バロックリコーダー、
クラシックフルート、チェロ、チェンバロのアンサンブルは
とても心地よく、まるで時間をさかのぼり、
当時のヨーロッパのどこかのお城の宮廷にいるような
気分にさせてくれました。

実際のセッションの一部



僕は弾いていなくて、オーディエンスとして
曲の世界観にどっぷりと浸かっていました。
まさに珠玉の時間でした。


バロックとルネサンス期の音の違いを
聴かせていただいて、専門家ではないので、
説明が難しいのですが、
バロックよりも時代が古いルネサンス期の音楽の方が、
素朴で味わいがあるように思いましたし、
そちらの方にアンテナが動きました。




現代のチェロやバイオリンなどの原型にあたる
ヴィオラダガンバ(ガンバというのはイタリア語で足の意味
つまり、足で挟んで弾く弦楽器ということ)
の音は、現代のチェロなどよりも音量は小さく、
倍音も違えば、ピッチ感のゆらぎも全く違います。
そもそも現代の440Hzよりも半音低い415Hzで
調律されているので、それも関係していると思います。






当時の音楽は演奏家たち自身が楽しむものであり、
多くの方に聴かせるという意味合いはありませんでした。

それが、時代とともにビジネスの要素が強くなり、
音量の小さな楽器は音が大きく鳴るように
改良され、その結果、楽器の形状や音色も
変化していきました。

その過程でビジネスとして使えないたくさんの
古楽器が淘汰されることになります。

ガンバ族に分類されるヴィオラダガンバも
そのひとつ


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現代のオーケストラで使用されている楽器を
思い浮かべると分かりますが、
大人数のアンサンブルで合わせやすいチューニング、
より多くの観客を収容できる大ホールでも
十分な音量を出せる構造、
それらを獲得した楽器だけが現代でも生き残っていることになります。






その影でたくさんの古楽器が時代に消えていくわけですが、
現代で古楽器の音色に魅了された方々が
それらを演奏して、ひとりでも多くの方々に
古楽器の音色の素晴らしさを知ってもらい、
広めようとしている活動があります。


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TINÖRKSで雫が演奏しているアイリッシュ・フルート
(ヨーロッパでは単にフルートと呼ばれます)
も実は古楽器に分類されるもので、
音量は大きくないですが、
ライブやレコーディングで使用する時は
優秀なPAシステムのおかげで、
音量の大きい他の楽器や電子音とも
共存できるわけです。




古楽器の魅力は3つあると思います。
ひとつは、独特な音色

ピッチ(音程)の揺らぎや、
倍音の響き方の面白さ、
そして素朴な音色の味わいがなんとも
懐かしく、すんなりと心にしみる気がします。

威圧的でもなく、抑圧的でもない、
すべての生物が生きる自然の風景を
音にするような感覚です。

ふたつ目は、楽器の形状
これは見ていただくと
一目瞭然なのですが、
画一的な現代の楽器と比較すると
ある意味合理的な形状をしていない
ように思えます。

楽器のデザインは音を表し、
音は楽器のデザインを表すという
ことにつながりますが、
見た目でわくわくするというのは
とても大事な要素だと思います。

みっつ目はアンサンブル時の
ハーモニーや違和感など

TINÖRKSでアイリッシュフルートと
シンセサイザーや電子音が同時に鳴ることは
日常茶飯事ですが、音が合わさった時の
ハーモニーがなんとも不思議な雰囲気を
作ってくれます。

もちろん古楽器同士でのそれも
同じで楽器同士の音の旨味が
互いに相乗効果で引き出されているような
気がします。

そこにこそ、音楽の深さがあるし、
楽譜には決して表せない音の豊かさが
あると思います。




音楽制作においてDAWが一般的になり、
インターネットが普及して音楽が飽和状態に
なっている中で、音楽の可能性はないという
ネガティブな評論もありますが、
古楽器のことを知ることは、飽和状態の一つの打開策として、
ある意味アンチテーゼとして有効であると思います。

楽器名は忘れたのですが、バロックリコーダーの
形状のような、けれど音はサックスに近く、
そして音量は大きくない木管楽器を
のろま庵カフェの番頭さんが吹いて、
矢原氏がタブラのような楽器を、
僕がシンセベースを弾いた即興セッションは
まるでアシッド・ジャズのようでした。

まさか古楽器をリードにしてジャズを
やるとは思ってもみなかったのですが、
ジャズのようでジャズではない、
じゃあ何の音楽なんだというと
答えるのが難しい、そんなセッションでした。

思えば大学生の頃、J-POPしか知らなかった
自分が後に自分の音楽の師匠となるMOL氏から
YMOや坂本龍一さんの音楽を教えてもらい、
「世の中にこんな音楽があったんだ」と
強烈に感動し、それ以降、テクノやそれとはまったく違う
ケルトをはじめとする民族音楽などに
はまっていった頃のわくわくしてしょうがない感覚に、
この時の古楽器に出会った感覚は似ていました。

音楽の新しい可能性が自分の中に溢れてくる
喜びというか、その音を自分の中に
宿したいという感覚

自分が演奏したいという欲ではなくて、
いっしょに古楽器と佇んでいたいという
ある意味共生の欲

もしも自分に力があるのなら、
一度でいいので、
コモンカフェのようなイベントスペースで
古楽器を一堂に集めて、楽器や音色の紹介、
演奏会を開きたいと空想してみたり。

メディアで紹介される加工された音楽を
決して否定するつもりはないですが、
音楽の可能性を信じることができないでいる
すべての方に可能性が残されていることを
伝えたいそういう想いがあります。

いつの時代もメインストリームではない
文化に面白さがあるし、そこに多くのヒントや
手がかりがあると思います。

古の響きは自分の中で
まだまだ全然汲みとれていないですが、
それはもっと深く知るべき音であるのは
間違いなさそうです。




今回「のろま庵カフェ」にご招待していただいた
庵主さんと番頭さんに、
参加者のみなさま、
本当に感謝しています。

たくさんの古楽器の音色に出会えたこと
生きててよかったと思いました。

ありがとうございました。


建水

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