2016-12-27

クインテットの帆をあげて

今年はTINÖRKSのメンバーが増えたこともあって、

もっとたくさんライブをしたかったのですが、

なかなか演奏する機会が増えず、それならということで

スタジオライブを今年の締めくくりにしました。



福島区にあるstudio neco(スタジオネコ)にたくさん楽器を

持ち込んで、今のTINÖRKSの音楽、雰囲気を

紹介するという意味を込めて何曲か撮影しました。



TINÖRKS Quintet(ティノークス・クインテット)と呼んでいますが、

5人編成になってから書いた新曲「Terrarium」(テラリウム)も

公開しています。





まずは

「Komorebi [after a rain]」






ライブでもお馴染みの曲

最近ではこの曲のVersion違いがキャノンマーケティングジャパンの

ラジオCMにも採用されたので、曲が一人歩きしていってる感もあり、

うれしいかぎりです。



今回動画を撮影するにあたって、カメラマンを探して、

なかなか見つからなかったのですが、

縁があって長崎ユースケさんにやっていただきました。



長崎さん、ありがとう!



撮影していただくにあたってポイントとなるのは、

曲の要所要所で誰がどんなフレーズを演奏しているのかということ。

TINÖRKSの音楽はたくさんの楽器と音色のアンサンブルが肝になりますが、

ライブの時はひとりひとりの手元や表情まで

しっかりと見ていただくことが難しかなと思います。

その点を演奏動画を撮ることで解決したいと考えました。





2曲はオリオン座のひとつでもある「Rigel」(リゲル)






ミドルテンポで浮遊感たっぷりに流れる星の音楽

wikiにあった画像でいうと、真ん中に3つ並ぶ星の右下に

青白く輝くのがリゲル



Orion




ちょうど今冬なので南の空に光り輝いてますね。



メタロフォンは星のきらめき、

フルートのかすれた音色が神話のイメージ、

そこにギターのリズムがふあふわと浮遊して

銀河に道を築くうようにチェロの音が帆を揺らし、

それら全部をしっかりとベースの音が支えてくれる。

僕が弾いてるシンセの音は全員の楽器をつなぐ酸素のイメージ。



個人的にはこのくらいのBPMがいちばん心地よく感じます。

早すぎず遅すぎずみたいな。





3曲は「Terrarium」(テラリウム)

カルテットとなったTINÖRKSの再船出をテーマに、

地球に生きる全ての生命への賛歌として、

いつもよりも気合を入れて作曲、編曲しました。






この曲は中盤に松永さんのベースソロや
矢原さんのチェロのソロを入れたり、

雫はメタロフォンから始まり、アイリッシュフルート、

ラップハープ、ティンウィッスルを奏で、

僕がシンセ兼スパークシェーカーを叩いたり、

曲の最後メタロフォンの裏で

4人がハンドクラップのユニゾンをしたりと

目まぐるしい展開。



2012年に発表した曲「Fullerene」(フラーレン)の続編的な

位置付けでもあるので、TINÖRKSの音楽をひとことで表す

曲といっても過言ではないかなと思います。



個人的には、フルートの裏で絶妙の動き方をしている

霜野さんのギターのフレーズがいぶし銀だと思います。

いちばん盛り上がる後半部で登場する

タイトに抑えたストロークのグルーヴが
北欧の国々の伝承曲の

雰囲気を持っているのがなんとも興味深いです。







進行や演出を事前に何度も考えて、

いざスタジオ入りして6時間

機材の準備、演奏環境の整備など本当に大変で

ある意味耐久レースと化してましたが、

最後まで走りきることができたと思います。



カメラマンの長崎ユースケさん、

TINÖRKSのメンバーのみんな、

ありがとう。



動画を見てくれて、良かったと

言ってくれる方がたくさんいて、

さらに海外からもメッセージをくれる方も

たくさんいてがんばった甲斐があったなあと

サングリアを飲みながら忘年会でしみじみと思ったのでした。



動画はもちろん無料で観れますが、

撮影後の編集、音源のマスタリングなど

何十時間もかけて仕上げたので、

やっぱり何かしら反応をもらえると

励みになります。



良い点もイケてない点も引っくるめて、

国籍も関係なく聴いた人が率直に意見を言い合えて、

盛り上がっていくのが大切なことだと思います。



「いいね」だけで終わるよりも、

少しでも一言でも感じたこと、

思ったことを自分の外に出すことが

日々の何かを変えるきっかけになるような気がします。





建水

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2016-11-23

音楽は必要か?

思う。



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音楽はなくても人間は生きていけるし、

不自由はないのかもしれない。



本当は空に耳をすませて風の音を聞いたり、

森や林の中でかすかに響く自然の音楽を、

地平線へと続く果てない平原で大地のとどろきを

感じるだけでいいのかもしれない。



けれど、その世界が空想や特別なことに思えてしまうほど、

多くの人にとって住む世界は頭だけで考えすぎてしまうほど

複雑で狭い世界になってしまった。



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物事が蜘蛛の巣のように絡む日常で生きざるをえない状況で

それらを紐解いて、そしてシンプルで素朴な感覚へと導いてくれるものが、

例えば、四季の色彩であったり、雨上がりの木漏れ日であったり、

星空の光であったりすると思う。



それらの事象も複雑な要素が幾重にも絡み合って生まれるが、

人が足元にも及ばないスケールで繰り広げられるものであるからこそ、

無意識に心をゆだねることができる。



そしてそれら自然の事象は大空の雲の動きであったとしても、

目の前で風に揺れる木々の葉であったとしても、

ものの大きさに関係なく、それに触れようとする人の

心を自然の世界へとつなげてくれる。





夏の余韻を残すかのような新緑と

秋の色彩が絶妙に交わる木々に囲まれた

Cafe homeでの演奏



『紅葉の会』と名付けられたその時間



音楽は必要か?という問いにほんの少し

世界が寄り添ってくれた気がした。





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◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇





今年の5月15日に開かれた『新緑の会』に続いて

再び兵庫県三木市にあるガーデンカフェ

Cafe home』で演奏させていただきました。



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すっかりと秋が色付いた中庭や裏庭を眺めながら、

切なくなったり、なぜかやさしい気持ちになったり。



時間がほんの少しずつ動いていることを

気づかせてくれる演奏前のひととき。



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この日だけの時別な薬膳ランチボックスをいただきながら、

カフェ横のベンチに座り、風景に溶けていきました。



前回もそうでしたが、アットホームな、

まるで家に招待されているかのような雰囲気のイベント。



作ろうと思ってもなかなか難しいとは思うのですが、

それができてしまうのもCafe homeの魅力のひとつかなと

思います。



さて、TINÖRKSのライブ。



今年はこれが最後。

トリオ編成での演奏。



set list



MC



1 Hinata



MC



2 Quark

3 sinfonia



MC



4 Komorebi



MC


5 Terrarium





雫のMCを中心に

自分で言うのもあれなんですが、

TINÖRKSのようなエレクトロニカやフォークトロニカな音楽は

そのジャンルを知らない方からしたら、「?」ばかりになる

可能性があると思います。



変わった音の組み合わせでアレンジしていますが、音楽自体は

前衛的でもなく、むしろ聞きやすいはず。


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TINÖRKSの音楽と聞いてくださる方々をつなぐ役割が

雫のMCで、それが重要。



音楽がインストであることもあって、

その音楽で表現したい世界や風景へ入るための扉が

MCの役目になっている。



お客さんが暖かいことが本当にうれしく、

時に笑いがあったり、問いかけたりしながら、

眠るように心地よく演奏でき、何かほんの少しでも

日常が変わる風景を心に響かせることができたかなと思います。



お聴きいただきましたみなさん、カフェのスタッフのみなさん、

石河 英作さん、そしてオーナーの田中さん、

ありがとうございました。



演奏の後は、「道草 michikusa」代表/苔クリエイターの

石河 英作(Hidesaku Ishiko)さんによる

「苔の素敵な楽しみ方」のワークショップ。



Fall_cafe_home_5


「苔テラリウム」を作ったり、苔の素揚げをいただいたり、

(苔は食べれるものだけど、栄養がないとのこと(笑)

苔をルーペで見てみたり、マニアックだけど、

発見がたくさんありました。



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苔で思い出すのは、屋久島の白谷雲水峡に行った時。

辺り一面苔が茂る沈黙の世界の美しさ。



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森の皮膚というか、質感

はたまた森全体のネットワーク的な位置づけとして

発想を広げても面白いかもしれません。



ずっと昔、水中から陸上へと生息域を移してきた苔類(たいるい)



そのひとつひとつに地球の記憶のかすかな断片が宿るとするのなら、

それに触れてまだ知らない発見に出会いたい。



そこにはきっと音楽がなびいている。





建水歩星





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2016-08-12

何のための音楽か

レコーディングに関してもうほとんどの方が
ご存知だとは思いますし、それが今では
普通のことだとは思うのですが、
例えば、楽器を録音して、その録音した音声ファイルの
ピッチ(音程)、リズムやグルーヴ(ノリ)などを
PCのソフト、DAWソフトと言いますが、
それを使って、自分の望むように如何様(いかよう)にも
編集できます。

極端に言えば、ものすごく下手なヴォーカリストが唄を
レコーディングしたとして、それをエンジニアがソフトで編集すれば
いくらでも上手く歌っているようにごまかせます。
音楽をやっていない人が聞くと分からないほどに。
唄以外、楽器でも同じことが当てはまります。

そして、世に出ている、出ていないに関わらずアーティストが
その編集をやっていないことはほとんどないというのが事実です。

ビジネス的なことが最大の理由だとは思いますし、
それ以外に個々に色々な事情があるかなと思います。

4トラックのMTRから音楽制作を始めたというものありますが、
今まで音楽を作ってきて、打ち込み以外、手弾き演奏の
ピッチやリズムに関わる部分の編集は意図的にしてきませんでしたし、
そこまでして音楽を作りたいとも
思いませんでした。

TINÖRKSの場合、ほとんどの曲には自分でプログラミングした
打ち込みのドラム、ベース、シーケンストラックが入っていて、
その上にフルートなどの生楽器やギター、キーボード、唄などを
重ねてくスタイルです。

MIDIで打ち込む時にグルーヴを調整するためにデータを
編集はしますし、コピー&ペーストもします。
なので、決してDAWソフトでの編集を批判しているわけではないのですが、
生演奏の部分に関して、自分のトラックのコピペはしますが、
自分以外のトラックも含めて、ピッチやリズムの編集、
省略するためだけのコピペはしませんし、それらをしたくないと思っています。

その演奏をした人が自分の演奏を自ら編集することは、
まったく気になりません。
それは、その編集も含めてその方の表現、クリエイティビティだと
考えているからです。

DAWソフトを使うまでは、ずっとMTRで音楽を作っていたので、
編集できる範囲はごく限られていました。
なので、生演奏は人力でいいテイクが録れるまで頑張るしかありませんでした。
それが普通だと思っていましたので、
別に苦にはなりませんでした。

MTRが故障してDAWに移行した時に、かねがね話は聞いていた通り、
こんな便利な編集機能があるのかと目からウロコ状態でした。

けれど、いざレコーディングしようとした際に、
ピッチやリズム、グルーヴの編集をしようと
いう気にはどうしてもなりません。

そこの部分に踏み込んでしまうと、音楽を奏でている立場の人間として
嘘をついている気がするからです。

生演奏のピッチの揺らぎ、リズムの揺れは機械では出せないものだから
味があるし、そこが面白い部分でもあるので、
そこを機械の力で変えてしまうと、その人の演奏ではなくなって
しまうと思えるからです。

TINÖRKSの曲で「Houra」(ホウラ)という曲があります。
メインのメロディーはインディアンフルートという
ネイティブ・インディアンに伝わる楽器を
雫が演奏しています。

この楽器、正直に話すと普通に吹いてもピッチ(音程)が
正しくありません。現代の優れた楽器のように
音程が正確ではないのです。

だけど、その正しくない音程が音楽的に面白いし、
他の楽器の音色と組み合わさって、なんとも言えない音楽的な
世界観、雰囲気を作り出してくれます。

「Houra」という曲を制作した時は
MTRを使っていましたので、もちろん音程やリズムを変えたりなんて
できませんでした。けれど、たとえDAWソフトで
レコーディングしたとしても、それらの編集は
やっていなかったと思います。
もしピッチを正確に編集すれば、インディアンフルート本来の
重要な何かを失うことになるからです。

音楽制作=DAWソフトを使うということが
一般的になって、昔と比べて作曲や編曲が
随分身近になりましたが、レコーディングに関して、
「後々、編集できるからとりあえずこのテイクでいいや」という
考え方も同時に普及したことは、とても残念だなあと思います。

音楽を作っていない、演奏していない方が、
そのような考え方を受け入れても仕方ないと思うのですが、
音楽を演奏している、作っている方が、
根本的な音楽の要素に踏み込む編集あり気で
レコーディングするというのはいかがなものかと思います。

自分の考え方のひとつですが、演奏の最も上達する方法は
レコーディングだと思います。

レコーディングで自分の演奏と向き合って、
追い込まれて、いやになって、それでも
いいテイクを取るために何度も録音し続けることで、
演奏が上達すると思います。

それが結果的に音楽が人の心に伝わると思いますし、
巡り巡って自分自身の心に返ってくるはずです。

音楽を作る上で、たとえ世に出る音楽でないにしても
決して嘘はつきたくないといつも考えながらやってます。

そして、それは何のしがらみもない
いちインディーズミュージシャンであれば
なおのことだと。

建水

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2016-07-23

音楽が心に帰る場所

楽園とは砂漠の真ん中にあるオアシスを意味するのではなくて、
目の前にある古の響きの中にこそある




先日、休みの日に『のろま庵カフェ』という会に
参加させていただきました。

TINÖRKS(ティノークス)にチェロ奏者として参加してくれている
矢原さんからお誘いいただきました。

きっかけは6月に演奏させていただいた「東谷ズム2016」の
帰り道の車中で矢原さんと古楽器の話で盛り上がり、
その勢いで実際に古楽器を所有して演奏される方のご自宅に
伺わせていただいたことに端を発します。


ライブ後でテンションが上がっている中、見たことも聴いたこともない
たくさんの古楽器の音色を聴いてさらにテンションが上がり、
到底頭では整理しきれないほど、わくわくするような情報の洪水を浴び
もはや何がなんだが分からないうちに、その日は終わりました。

まるでヨーロッパのどこかの街で
1日を過ごしたような空想の気分。

今度はライブの後ではなくて、ゆっくりと楽器の音色やその形状を拝見したいなと
思っていた所、なんとその方のご自宅で
「のろま庵カフェ」という会があり、
幸運にもそれへのお誘いをいただいたわけです。


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ただ、ご存知の通り出不精で、なおかつ
そういう社交的な場やパーティーがどうも苦手で
ためらいはあったのですが、どうしてもまた古楽器の音色を
心に留めたいという気持ちが強く、
参加を決意したわけです。

個人的に色々と反省点はありましたが、
人生に一度訪れるか訪れないかというくらい
幸せな時間を過ごせました。

今まで生きてきたことに感謝
ありがとう人生と言いたいほど

会のはじめに庵主さんが手作りの料理の品々を
振舞われてそれをいただきました。

言葉では表現に限界がありますので
月並みな表現になりますが、
品数も多く、ご馳走の数々で
ほんとにおいしく、
おかわりを何度かさせていただきました。

こういう会に慣れていないので、
恥ずかしながらとまどいもありましたが、
参加された10人で音楽やヨーロッパのことなどを
話しながら美味しいものをいただいて、
食事で心も体も癒されるというのは
毎日の生活の中ではなかなかないことです。


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食事の後は、庵主さんと番頭さんと参加者を交えて
バロック音楽からルネサンス期の音楽を実際に
演奏して聴かせていただきました。

ヴィロラダガンバ、バロックリコーダー、
クラシックフルート、チェロ、チェンバロのアンサンブルは
とても心地よく、まるで時間をさかのぼり、
当時のヨーロッパのどこかのお城の宮廷にいるような
気分にさせてくれました。

実際のセッションの一部



僕は弾いていなくて、オーディエンスとして
曲の世界観にどっぷりと浸かっていました。
まさに珠玉の時間でした。


バロックとルネサンス期の音の違いを
聴かせていただいて、専門家ではないので、
説明が難しいのですが、
バロックよりも時代が古いルネサンス期の音楽の方が、
素朴で味わいがあるように思いましたし、
そちらの方にアンテナが動きました。




現代のチェロやバイオリンなどの原型にあたる
ヴィオラダガンバ(ガンバというのはイタリア語で足の意味
つまり、足で挟んで弾く弦楽器ということ)
の音は、現代のチェロなどよりも音量は小さく、
倍音も違えば、ピッチ感のゆらぎも全く違います。
そもそも現代の440Hzよりも半音低い415Hzで
調律されているので、それも関係していると思います。






当時の音楽は演奏家たち自身が楽しむものであり、
多くの方に聴かせるという意味合いはありませんでした。

それが、時代とともにビジネスの要素が強くなり、
音量の小さな楽器は音が大きく鳴るように
改良され、その結果、楽器の形状や音色も
変化していきました。

その過程でビジネスとして使えないたくさんの
古楽器が淘汰されることになります。

ガンバ族に分類されるヴィオラダガンバも
そのひとつ


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現代のオーケストラで使用されている楽器を
思い浮かべると分かりますが、
大人数のアンサンブルで合わせやすいチューニング、
より多くの観客を収容できる大ホールでも
十分な音量を出せる構造、
それらを獲得した楽器だけが現代でも生き残っていることになります。






その影でたくさんの古楽器が時代に消えていくわけですが、
現代で古楽器の音色に魅了された方々が
それらを演奏して、ひとりでも多くの方々に
古楽器の音色の素晴らしさを知ってもらい、
広めようとしている活動があります。


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TINÖRKSで雫が演奏しているアイリッシュ・フルート
(ヨーロッパでは単にフルートと呼ばれます)
も実は古楽器に分類されるもので、
音量は大きくないですが、
ライブやレコーディングで使用する時は
優秀なPAシステムのおかげで、
音量の大きい他の楽器や電子音とも
共存できるわけです。




古楽器の魅力は3つあると思います。
ひとつは、独特な音色

ピッチ(音程)の揺らぎや、
倍音の響き方の面白さ、
そして素朴な音色の味わいがなんとも
懐かしく、すんなりと心にしみる気がします。

威圧的でもなく、抑圧的でもない、
すべての生物が生きる自然の風景を
音にするような感覚です。

ふたつ目は、楽器の形状
これは見ていただくと
一目瞭然なのですが、
画一的な現代の楽器と比較すると
ある意味合理的な形状をしていない
ように思えます。

楽器のデザインは音を表し、
音は楽器のデザインを表すという
ことにつながりますが、
見た目でわくわくするというのは
とても大事な要素だと思います。

みっつ目はアンサンブル時の
ハーモニーや違和感など

TINÖRKSでアイリッシュフルートと
シンセサイザーや電子音が同時に鳴ることは
日常茶飯事ですが、音が合わさった時の
ハーモニーがなんとも不思議な雰囲気を
作ってくれます。

もちろん古楽器同士でのそれも
同じで楽器同士の音の旨味が
互いに相乗効果で引き出されているような
気がします。

そこにこそ、音楽の深さがあるし、
楽譜には決して表せない音の豊かさが
あると思います。




音楽制作においてDAWが一般的になり、
インターネットが普及して音楽が飽和状態に
なっている中で、音楽の可能性はないという
ネガティブな評論もありますが、
古楽器のことを知ることは、飽和状態の一つの打開策として、
ある意味アンチテーゼとして有効であると思います。

楽器名は忘れたのですが、バロックリコーダーの
形状のような、けれど音はサックスに近く、
そして音量は大きくない木管楽器を
のろま庵カフェの番頭さんが吹いて、
矢原氏がタブラのような楽器を、
僕がシンセベースを弾いた即興セッションは
まるでアシッド・ジャズのようでした。

まさか古楽器をリードにしてジャズを
やるとは思ってもみなかったのですが、
ジャズのようでジャズではない、
じゃあ何の音楽なんだというと
答えるのが難しい、そんなセッションでした。

思えば大学生の頃、J-POPしか知らなかった
自分が後に自分の音楽の師匠となるMOL氏から
YMOや坂本龍一さんの音楽を教えてもらい、
「世の中にこんな音楽があったんだ」と
強烈に感動し、それ以降、テクノやそれとはまったく違う
ケルトをはじめとする民族音楽などに
はまっていった頃のわくわくしてしょうがない感覚に、
この時の古楽器に出会った感覚は似ていました。

音楽の新しい可能性が自分の中に溢れてくる
喜びというか、その音を自分の中に
宿したいという感覚

自分が演奏したいという欲ではなくて、
いっしょに古楽器と佇んでいたいという
ある意味共生の欲

もしも自分に力があるのなら、
一度でいいので、
コモンカフェのようなイベントスペースで
古楽器を一堂に集めて、楽器や音色の紹介、
演奏会を開きたいと空想してみたり。

メディアで紹介される加工された音楽を
決して否定するつもりはないですが、
音楽の可能性を信じることができないでいる
すべての方に可能性が残されていることを
伝えたいそういう想いがあります。

いつの時代もメインストリームではない
文化に面白さがあるし、そこに多くのヒントや
手がかりがあると思います。

古の響きは自分の中で
まだまだ全然汲みとれていないですが、
それはもっと深く知るべき音であるのは
間違いなさそうです。




今回「のろま庵カフェ」にご招待していただいた
庵主さんと番頭さんに、
参加者のみなさま、
本当に感謝しています。

たくさんの古楽器の音色に出会えたこと
生きててよかったと思いました。

ありがとうございました。


建水

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2016-03-03

生きとし生けるための振動

3/1 島之内協会にてフィンランドの「カルデミンミット」のコンサートを聴きました。
彼女たちはフィンランドの伝統楽器カンテレ(15弦と38弦)を演奏する
4人組のフォークグループ
詳しくはこちらを
http://www.harmony-fields.com/a-kardemimmit/profile.html

複雑に繊細に紡がれるカンテレの神秘的な音色とリズム、
そして妖精のような4声の歌声のハーモニーは穏やかで、
深く澄んでいて胸の奥に沁み渡りました。

島之内教会の雰囲気や響きとも相乗効果になっていて
心に残るとても素晴らしいコンサートでした。

各SNSでコンサートの様子が書かれているので、
ぜひ検索して読んでみてください。




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真ん中にあるのは38弦の大きなカンテレ
おそらくスタンドは専用だと思います




会場にはとてもたくさんのお客さんがいました。
そのほとんど、おそらく9割方は女性。

コンサートの始まる直前に教会の牧師さん(?かな)から
「今日ここに集まったのも何かの縁だと思います。
それは偶然ではなく、必然なんですね」という
お話しがありました。

運命というと大袈裟なので、あまり好きな言い方ではないのですが、
縁というと何か腑に落ちるというか、その場所にいる何らかの理由があって、
それは自分では気がつかないものだと思います。




コンサートが始まって、音色が神秘的で綺麗だなあと思いつつも、
カンテレの演奏が気になって仕方ありませんでした。
実際に生の音色を聴くのはその時が初体験でしたので。

弦をはじくのはもちろん、ミュートしながらのストロークがあったり、
ときには、サンプリングしたくなるノイズ的な音もあって
エレクトロニカ的な聴き方もできて面白かったです。

最小限のPAを使用したコンサートでしたが、ホールの響きを
考慮すると、完全アンプラグドでも十分ではなかったかなと
思います。

もちろん、PAで音を増幅したとしてもこの上なく綺麗な音響でした。
エンジニアの方がバランスに相当注意されたと思います。

完全アンプラグドで、もし音量が小さかったとしても、
逆にその方が聴く側、オーディエンスの集中力、感覚を
研ぎ澄ませるというか、音量の大きさではなく、
音そのものの大きさが静寂の中で際立つかなと
個人的はイメージします。

なので、全曲ではなくても、set listの中の1,2曲は
あえてPAを使わずに行うと、カンテレと彼女たちの
純粋な音の響きを楽しめて、それはそれでプラグドと比較できて
さらに楽しめたのかなと思います。




音量というか音圧というか
音に対して日本人の聴覚は鈍っているじゃないかなと
ドイツでライブをした時に強く思ったことがありました。

ドイツでの最初の演奏のリハの際に
音量のバランスを調整したら
自分では小さめに合わしたつもりでも、
音量が大きいのでもう少し絞ってと
リクエストがありました。

TINÖRKSはそもそも爆音ではなく、むしろ
どちらかというと他のバンドが出すよりも
音量のバランスは小さめにしています。
自分の好みで。
オケの音に関してもぱパツパツに音圧を上げてもいません。
これも自分の趣向で。

それで思ったのは、家にいる時(トリーアでの滞在先)、
街を歩いている時、店に入った時、そのすべてに共通しているのは
騒音や音がほとんどないこと。

店でBGMがかかっていたとしても音量はかなり小さい。
これはスウェーデンに旅した時にも感じたことでした。

日本では、それなりに大きな街を歩いていたら
何かしらの音、音楽が耳に入ってきます。
店に入っても大音量でJ-POPやそれに類似する流行の音楽が
途切れなくガンガンにかかっています。

選挙の時には、街宣がすさまじく、家で窓を閉めていても
否応無しに聞こえるくらいの時もあります。

街にいると音がない静かな場所をさがすのが苦労するくらい

私たちはたとえ聞きたくない音であったとしても
日常的に音をたえず聞かされています。

ライブハウスはあまり好きな場所ではないですが、
その理由のひとつが、音量の大きさです。

鼓膜が痛むんじゃないかなと思えるほどの
大音量がどうしても耐えられないのです。




音を取り巻く環境がそのようでは聴力も知らず知らずの内に
鈍感になっていくのは当たり前。

耳が過剰に音量を享受し過ぎて、感覚が弱っていく。
それでもそれを再び享受しようとするので、
音量を上げてしまう、上がってしまう悪循環。
それは決して耳には望ましいことではないです。




さらに深く考えると、人間も含めてこの世の中のものは
すべて素粒子から構成されていて、それらは常に
振動を繰り返しているそうです。

つまりすべてものは素粒子の振動によって成り立っている。

なので、いい音、綺麗な音が出す振動が
空気を震わせて、その先にある物体を構成する
素粒子に届いて、その振動に影響を与えるということ。

どういう振動の波が良いのか悪いのかは
専門家ではないので分かりませんが、
例えばモーツァルトの曲を水に対して
聴かせると、その水の結晶が綺麗な形を形成することから、
綺麗な振動は別の振動にも良い影響を与えると
想像できます。

話しがかなり脱線しましたが、
良い振動を発する音、音楽の存在は
生きとし生けるものにとって
とても重要なことなんだと思います。




そういえばコンサートの最中、涙を流している方が
たくさんいらしゃいました。

流さずにはいられなかったくらい
まちがいなく感動的な音でした。

僕は右脳が熱くなって飛び出しそうな
不思議な感覚になりました。
こういう経験はめったにしたことがありません。




「カルデミンミット」は純粋なフォークグループで、
それはそれで十分素晴らしいのですが、
個人的には電子系のメンバーが一人加わって
フォークトロニカ的なアプローチも
試してもらいたいと思っています。

アイスランドのamiina(アミーナ)のように

ありふれたものが有り余る世の中で、
圧倒的に他と差異があって圧倒的なものは
めったにないですが、上記のアプローチは
純粋なスタンダード・フォークの分野から
飛び出してそれ以外のファンも感動させるくらいの
多大なポテンシャルを含んでる音楽的な方法だと
勝手に思っています。

けれど蛇足ですね。

サンクラに彼女たちの楽曲があがっていました。
コンサートでも演奏された僕が一番好きな楽曲
印象的なリズムからはじまる
「Toinen tähti / The Other Star」







音の環境が整っていないPCで聴くと
音の旨味がほとんどなくて残念ですが、
それでも彼女たちの音楽的素晴らしさの
一旦が垣間見れます。

レーニさんが作曲し、伝承詩を歌った曲。


以下、公演プログラム掲載の解説

「失われた恋の嘆きを輝きを失くした星になぞらえた歌。
今の自分を見つめるように静かに始まる歌が、
徐々に抑えきれない悲しみの嘆きに変わり、
そして最後には新しい恋の予感が語りかけるように歌われます。」




目の前の空気がいつしかフィンランドの大自然の風景に
変わっていくほど、神秘的でなぜか懐かしい響きに
思うのはなんとも不思議です。

素晴らしい音楽に出会えたご縁に感謝

Kiitos
Nähdään!




建水

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2015-12-15

Looking back on 2015 -アルルの日の出-

今年も残すところあと半月
少し早いですが今年の活動を振り返ろうと思います。


昨年11月にリリースしたTINÖRKSのアルバム
ODOMYUNICA』(オードミュニカ)の
リリースツアーから幕をあけました。





1月
16日名古屋 K.Dハポン
23日東京 北参道ストロボカフェ
24日埼玉 more records


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ハポンでは最後に全員で「ハルヒノ」をセッション。




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そしてイベント後、対バンさせていただいた
ZOKUの方々の打ち上げに参加させていただきました。





北参道ストロボカフェでは、ゲストに初代ギタリストの
松村さんを加えて4人編成で
「Fullerene」「Homing」「Rigel」の
3曲をセッション


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そして埼玉のmore recordsでは、
はじめてのインストアライブを経験

イベントはアットホームでリラックスした感じで
とても良かったけれど、委託販売のことで
問題がいまだに解決せず後味がなんとも…

これも社会勉強ですかね…
いやいやきっちりと対応する必要があると
自分に言い聞かせるつもりで




2月は2本のライブ

レコ発ツアーの続き
7日に京都きんせ旅館でギターの霜野さんが属する
ポスト民族楽団marcoheibeiと
テノリオン奏者トグチさんと共演
「Öde」とTenori-On版「Fullerene」を演奏。

この日限りというのが自分としてはなんとももったいない。
またどこかで演奏する機会があれば…


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実質、この日でODOMYUNICAの世界観は完結




28日はunimiの四ノ宮くんからのお誘いで
イヌイットの言葉でかまくらを意味する
[IGLOO](イグルー)のイベントで演奏


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会場をかまくらに見立てたセットはとても幻想的で暖かい光でした。
鹿肉のシチューもワインとよく合っておいしかった。

めずらしく唄もので「クジラが空を飛んだ日」を
久しぶりに演奏したのはこの日



自主イベントの「屋根裏のトロニカ」以来
なつかしい。。。

この曲のcodaに登場するティンウィッスルは
キーがEbなのでTINÖRKSの楽曲の中では珍しいです。





3月はライブがなく

4月は3つ


11日に宇宙犬のキヨちゃんからお誘いをもらった
Gallery NU-VUでの
『宇宙犬、ティノークスと月へ行く。』に出演

めいPさんのライブペイントとの即興コラボは
なかなか緊張感がありました。





18日は再び東京へ
代官山の「晴れたら空に豆まいて」にて
(名前にインパクトがあってそしてそれに劣らず
会場の雰囲気もすごく…)

『the air is clean and clean』のイベントに出演




29日は心斎橋のLive&Bar 11(オンンジェム)にて
『写LOVE倶楽部』のショーケースで演奏


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FEELING=ART TOMOさんの
ライブペインティングのバックでも演奏

この時に生まれた曲が
「花鳥風月」や「Sinfonia」「バオバブの朝」など
自分のソロで書くような雰囲気を持った曲なのが特徴




5月は
HONU COFFEEにて 『僕らが海へわたる日』と
自分が勝手に名付けたイベントで演奏


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小学校の教室のように並べられた会場のテーブルが
とてもおもしろくて印象的でした


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6月


7日クリスタルボウル奏者であり岸和田薬師院の住職でもある
Yugiさんからのお誘いで高石市の羽衣体育館で開かれた
ヨガ・ファイン20周年記念イベント」にて
ヨガをされている時のアンビエントな音楽を
生演奏させていただきました。




19日から22日まで京都の劇場KAIKAにて
黒木夏海さんのikiwonomu(いきをのむ)第一回マイム公演
『かつての風景』 (4日間 計8公演)に出演


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劇中のBGMをTINÖRKSの楽曲で演奏するという
自分たちにとってはまったく新しい試み


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実験的ではあったけれど、
意外に自然とマイム作品に溶け込んでいたように思います。

唄の曲で「空の余白」を生かせていただいたことが
とてもうれしかったです。





この時に新曲「思う。」をDLコード付き
手漉き和紙ポストカードでリリース。





それから驚いたことは差し入れのクオリティが
半端ないこと!
ごちそうさまでした。

集合写真を撮り損ねたことと、舞台監督のこだちさんが
公演期間中大事に育てていた自家製のヨーグルトの
発酵が終わらず結局食べれなかったことが後悔

計8公演もやると色々と愛着がわくし、
終わった後の切なさもぐっとくるものがありました。

丁寧で本当に素敵なマイム作品。
関われて良かった…




7月

ヨーロッパでライブをするという
ヤネトロニカ時代!から思い抱いていた夢が
ついに叶う

ドイツのトリーアに住んでいるWhale vs elephant
Tobiasからの突然のメールにはじまり
いざドイツの地へ


『Normal』



トリーアの街で「SUMMER IN THE CITY at Posthof」に出演


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隣町であり隣国のルクセンブルクでは
グラーヴェンマハでオープンシネマの前座で2つのライブ
(とことこ歩いて国境を越えるということを経験)

トリーアの南にある街ザールブリュッケンにある
雑貨屋ladenでも演奏





そして帰国前日、滞在先の中庭で
Tobias企画のGoodbye concert


ヴァイオリン奏者ヤーナも来てくれて『Komorebi』などセッション
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そして演奏前に作ってくれた
超絶美味なドイツ伝統料理が最高

渡独前からスカイプで何回も彼とやり取りをする中、
だんだんと人柄が分かってきて
とても親切な人だなあと。
そして実際に会ってコミュニケーションをとっても
やっぱり親切な人でした。

ものを使ったらあっちゃこっちゃ置く癖が
理解できなかったけど(笑)

トビの実家にも招待してくれて
ザールループを見て…という話はまた別記事で。

見ず知らずの日本の無名なアーティストを呼ぶくらいだから
ドイツ人の中でも変わり者だと思うけれど、
彼には頭が上がらないほどたくさんの感謝があります。


Trier


ありがとう、トビ




ドイツから帰国して
24日旧グッゲンハイム邸にて
世界と神戸を音楽で繋げるを掲げる
スペースドッグレコード企画の
「Old Modern Standard. Kobe」に出演


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カセットテープで作品をリリースするという企画


A.C.Eさんとのスプリット版で
TINÖRKSはそのまんま「Tape」という曲を収録





テープで作品をパッケージングすることに
個人的には時代が一周した印象を持ちました。
(音楽を始めた頃、テープにミックスダウンするのが普通だったので)

詩はテープに感謝の意を表して




8月はライブなし


9月

12日兵庫県美方郡とちのき村にて
「星空フェス2」に出演

満点の星空の下でライブをするという
これもひとつの夢が叶った日でした。

こんな贅沢な体験は他ではなかなかできません

そういえば流星をいくつか見ることができました。

願いごとよ、イマコソカナエタマヘ




10月はライブなし

そして11月

日本の様々な文化を伝える
SAMURAI JAPON(サムライジャポン)のツアーに参加
ドイツに引き続きヨーロッパの国フランスでライブ

尊敬するアーティストのひとり
シュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトンの生まれた国

そして絵画の印象派が生まれたのもこの国




フランスで演奏するために書いた曲『ILOHA』



演奏場所はパリとルクセンブルクに近いナンシーの2箇所。


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1年に2回も海外に行くことすら奇跡的なことなのに
それがライブとなると、こんなこともあるのかと
自分を疑いたくなるくらい

出費が半端なく、TINÖRKSの活動すら危うくなるくらいの
リスクを承知で臨んだツアー


2012年にインタビュー記事を掲載していただいた
フランスのカルチャーサイト「KOCHIPAN」(コチパン)の
編集長ディミトリさんとパリで出会えたのは
感動的でした。

インタビュー以降も時々メールでお互いの近況を
伝え合っていたけれど、まさか実際に会うことができるなんて
思ってもみなかったわけで。

音楽や漫画、お互いの国の話などカフェで盛り上がりました。

ちなみにKOCHIPANの意味を尋ねると、
KOREA、CHINA、JAPANの
KO+CHI+PANの組み合わせだそう。




フランスでの演奏は事前に制作した映像を
同時に流し曲の世界観を視覚的にも伝えようと試みました。


屋久島の原生林を舞台にした『Houra』の映像

Houra from Hosei Tatemizu on Vimeo.




それからナンシーに滞在している時に、
パリで同時多発テロが
起こったのはとても残念でした。

到着した頃のパリとナンシーから戻った時のパリの
空気感が違っていたことが、事の大きさを
物語っていました。

そういう悲しい出来事が起こって、自分は皮肉にも
これから未来に向かって世界が
どういう風に進んで行くのかに
関心を持つようになった。

音楽だけでなく、いろいろな事に関心を持って
世界と関わっていたいと




そして12月
記憶に新しい阪急うめだ本店での
「★光のヒンメリと北欧クリスマスマーケット2015★」に出演


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予想をはるかに超えるお客さんの数、
500人近い方々が集まる中、
巨大なヒンメリとミラーボールの光をバックに演奏


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まるでそこが日本ではなく北欧のどこかの街にいるかのような
空間の中で音楽を奏でられたことは、自分にとって
至福のひとときでした。




以上、今年の活動の振り返り。

写真を撮っていただいた方々、
出会えた方々、
支えていただきました方々、
ありがとうございました。


ライブの本数自体は決して多くはないですが、
ひとつひとつのライブがとても印象的で
しっかりと記憶に残っています。
そして音楽を通じてたくさんの方々と出会えたこと。
その度に不思議な縁の力を感じ、
色々なことを思い、考え、日々が繋がっていきました。




自分の思い描いていた夢を
ときにあきらめかけたり、
また信じようとがんばったり

ついに夢が叶ったら
思い描いていたよりも実感がなかったり。
(この辺はドイツの遠征記でまた書きます)

そしてふと我に帰ると、今ある状況でいいのかと
自問自答することにさいなまれたり




歳も歳なので現実問題として
音楽活動との向き合い方も
考えないといけないのですが、
けれど、今抱いている夢はいつの日か
ヨーロッパを旅しながらその土地土地で
ミュージシャンたちとセッションしながら
生きれたらいいなと。

Tobiasがそうしているように、もっと身軽になって
音楽を通して自分の知らないことをまだまだ知りたい。

いつかはもう来ないかもしれないし、
数年後にやってくるかもしれない

明日死ぬかもしれないし、
ずっと先まで長生きできるかもしれない




TINÖRKSの音楽はもちろん好きだし、
表現している誇りもあるし、
たくさんの方々に応援していただいているおかげで
活動させていただいていることに、
いつも感謝の気持ちがあります。




音楽活動を通して、普段エレクトロニカを聞かない、
知らない方々にもその音楽を楽しんでいただきたいなというのと、
TINÖRKSのようなスタイルがもっとポピュラーになって
若い人たちが宅録だけにとどまっていないで
音楽でもっとおもしろいことをしてみようという
気になって欲しいという気持ちもあります。




音楽をして何を成功というのか分かりませんが、
(もちろん音楽で食っていけれたらという煩悩はあります)
面と向かってやるよりも、日常の中に寄り添うように音楽を表現して
生きていければ幸せかな

思えばドイツに滞在した時にそんなことを無意識に感じていたのだろうか




建水

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2015-12-13

If you think, the world always changes a little.

TINÖRKS今年最後の演奏は阪急うめだ本店の
光のヒンメリと北欧クリスマスマーケット2015


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巨大なヒンメリとミラーボールのイリュミネーションが
美しく輝き、北欧の食べ物や飲み物、そしてたくさんの
おしゃれな雑貨があふれる9階祝祭広場


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この広場を含む9~12階フロアは4層吹き抜けの空間になっているため
横幅もさることながら天井が高く階段下から見上げる光景は
まるでローマにあるコロセウムのよう。

劇場型百貨店を謳う阪急百貨店うめだ本店ならではの
エンターテインメント精神が伝わります。




12時に会場入りして機材を組み、いったんステージ横の通路へ移動


楽屋で司会をしていただいた岩本さんと打ち合わせ
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この日の対バン?は日本レスキュー協会のトークイベント
レスキュー犬も参加していて子供達にも大人気でした。

客席に見立てた階段には隙間なくお客さんがぎっしり
そしてお客さんの目の前、ステージの後ろには
まばゆく光る巨大なヒンメリとミラーボール


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イベント期間中は毎日11時から毎時ジャストごとに
5分間ヒンメリの光のイリュミネーションが始まります。

演奏させていただく側としてはこれ以上ない至福の
シチュエーションでした。


写真を撮影していただいたみなさん、ありがとうござました。


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演奏は14:05と17:05からそれぞれ30分程度を2公演

set listは両回とも




1 OP-1[quark]
2 Komorebi


MC


3 Ljus och snö
4 Sinfonia


の4曲


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演奏時間は短かったですが、ヒンメリに合わせて
「光」をテーマに選曲しました。


星々の光
木々の間から漏れる光
教会の中でロウソクに灯される光
そして希望の光


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TINÖRKSの音楽はそれ自体で楽しむのも
もちろんあるとは思いますが、
空間や雰囲気との相乗効果としての
音楽という位置付けの意味も強く、
非日常を忘れるような、
ここが日本ではなくまるで北欧のどこかの街に
いるようなそんな感覚にさせてくれる
音楽になればとも思います。




演奏をお聴きいただいたたくさんのお客様、
そして今回このような素敵なイベントにお誘いいただいた
株式会社ハーモニーフィールズの小巖さん、
限られた時間の中、演奏しやすい環境を整えてくださった
Studio MA-Moonの貴瀬さん、
司会の岩本さん、阪急のスタッフのみなさま、
本当にありがとうございました。

年内最後のライブが北欧のイベントというのは
不思議な縁を感じますが、同じ時はもう二度と訪れない
時間をみなさんと共有できたこと、何よりもうれしく思います。


メンバー全員を代表して、心からみなさんに感謝致します。




ヒメンリの光を見たり、その時に奏でられる音楽を聴いたりすること

本当は目の前のものを見たり、聴いたりしているのではなく、
それぞれに思い描く風景であったり、音楽の旋律を
心に抱いているのだと思います。

それはその瞬間にしか生まれないもので、
だからこそ、終わった後、楽しい気持ちと同時に
なんとなく切ない気持ちにもなると思います。

何かを思うと、また少し世界が変わる

それの繰り返しで少しずつ先に進んでいく

はじまりがあって、そして終わりがある

音楽を奏でている間は短いですが、
そのたった数分の間に
それぞれにしか抱けない夢を見ることが
どれだけ素晴らしくて大切なことなのか
改めて思うことができたような気がします。




『僕が暮らしているここだけが世界ではない』

大好きな写真家 星野道夫さんの言葉


曲を書く度に思い出して、
演奏を終える度にその世界の深さと、はかなさを痛感する言葉。


TINÖRKSは2007年にオーロラを夢見て結成と
なっていますが、未だそのオーロラを肉眼で
見たことはありません。

もちろん実際に見てみたいし、見ると思うことも
以前とまた違ってくるかもしれません。

けれど、オーロラが今も世界のどこかで大空に
なびいていると心の中で思うその心の距離感を
大切にすることも重要だとも。

心がオーロラへと続く道がTINÖRKSの活動であったり、
書かれた曲だと思うからです。




今後の予定ですが来年の6月にとても重要な演奏機会を
いただいていますので、それに向けてまたやっていこうと思います。




それ以外はひとつの区切りということで




少しずつでも表現に携わる人たちの環境が
良くなっていくことを願いつつ




2015年12月13日 日曜日
建水歩星


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2015-12-09

音楽が内包しているひとつの「うま味」

ドイツに来いよって突然メールをくれたWhale vs elephant(クジラvs象)の
トビアスは今、バルト海に面したグルジアに滞在し、
アルゼンチンの音響系アーティストとツアーをしている。




Whale Vs Elephant - Today's morning (Live @ Twilight, Tbilisi) from Tobias Braun on Vimeo.






現地TV局が撮影した動画から
彼らのパフォーマンスを見ることができる。
前半の即興を経て、2:20~はじまるのは
TINÖRKSがドイツに滞在した時に
制作したToday's Morning Electronica
(「今朝のエレクトロニカ」 変なタイトルはご愛嬌)という曲。
(朝に作ったので)

最初に鳴り出すシンセは僕が弾いていて、
途中から入るヴォーカルは雫が担当

最初のアレンジでは後半に登場する
ハードなドラムトラックはなく、
僕のサンプル・ライブラリーを使った
リズムで終始穏やかな雰囲気だった。

けれど、当初アレンジについて話していた時に
「後半はもっとがつんと行きたいね」って
言っていたので、そうしたんだと思う。


ドイツ滞在が終わろうとしていた頃、
トビの部屋で各パートをレコーディングした。




自分たちの音が、曲が日本からはるかに遠く、そして
あまり知らない国、グルジアで演奏されているというのは
なんとも不思議な感覚。
けれど、これが他の国のミュージシャンと知り合って、
共演することのおもしろさ、醍醐味であり、
自分にとっての可能性、引いては
音楽自体の可能性を示唆していると思う。




インターネットが情報を集めるのに
どんなに優秀なツールであったとしても
皮膚感覚で経験して得ることができる生の情報には
かなわないと思う。

最近、思うが、例えば、TwitterやFacebookなどの
SNSを活発にやっている人に限って、
そのネットワークの中でしか動いていないことが実感としてある。

つまり特定のネットワークの情報しか日々知ることなく
過ごしているということ。

インターネットで世界のどの場所、どの人ともつながれても、
結局、その人がヴァーチャルに存在している
ネットワークの大きさは小さいのだろう。

決してインターネットを批判しているわけではないが、
その中で、情報収集のほとんどのことが完結している状況は
あまりにも勿体ない。

そしてそこには驚きや発見という「うま味」の部分が
完全に欠けている。
インターネットで伝わる情報の密度はたかが知れている。




ドイツのトリーアに到着したその日、最初に驚いたのは
午後9時になっても空がまったく暗くなく、
むしろ明るいことだった。(これは異常気象ではなく
むこうではその季節では普通のこと)

まるで夏の北欧の白夜のように。

ドイツという国のこと、主要な都市、雰囲気などは
それほど珍しくもなく、むしろ知らない人の方が少ないと思うが、
夜が明るすぎることはこの時まで知らなかった。

そのことに驚かされたし、それが自分にとっての大きな発見だった。




音楽で驚かされることはたかが知れている。
日本と文化や慣習が全く違う国のミュージシャンであっても
使っている楽器や機材、ソフトウェアはほとんど知られている。

だから皮肉にも音楽に関するやりとりはたいてい円滑に進む。

日本とはまったく違う文化の中に、そしてかつ、
観光ツアーではなく、その土地に暮らす人の文化の中に入っていくこと

インターネットでは決して味わうことができない
「うま味」「苦み」がたくさん溢れている。

自分はバックパッカーではないので、
彼らからしたら何を偉そうにと言われても当然だが、
たった一週間少しの期間でも驚きは溢れていた。




今の時代、音楽を作ることにのめりこめば、のめりこむほど、
インターネットの中の世界にだけで活動するようになると思う。

外で実際に演奏するとか、海外で演奏するとかは
もってのほか、論外で、そもそもそれに興味がないことが
普通のことのように思う。

実際に目の前で演奏して、誰かに聞いてもらって、
反応をもらって、それに影響され
そしてまた曲を書いてという流れ

本来、音楽が内包しているひとつの「うま味」

それを生かしきれずにほとんどの作品が
パッケージされていると思う。

そしていつしか井の中の蛙になって、
絡む人もいつも同じ、自分が思い込んだ空間、
ネットワークの中でしか活動しないようになる。

偉そうに言ってもTINÖRKSの活動はたかが知れている
けれど、意志があって、外に出たいアーティストがいるのなら、
海外のつてを紹介することはできるし、微力と自覚していても
何らかで支えることもできると思う。

人生は一回きり
だからやるときは、とことんやればいい




建水

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2015-07-28

時間と空間のテープ

tinörksの新曲『Tape』





カセットテープのフォーマット(DLコード付)で
A.C.E.さんの『Reflection』とのスプリット盤として
official siteでも販売開始しました。

リリース元は「神戸から世界へ」をキーワードに音楽を発信するスペースドッグ!レコード
今年の4月にお話しをいただいたリリースパーティーも含めたプロジェクトでした。


Logo


(※旧グッゲンハイム邸でのリリース・イベントの様子はコチラ)




最初、カセットテープ?とお聞きして疑問に思いましたが、
詳しく伺うと、最近ではあえてカセットテープで
新譜をリリースすることが海外を中心にブームになっていて、
専門のレーベルまであると。


調べて見ると…




ドイツ(ケルン)
CAMP MAGNETICS

※ドイツの他のテープレーベルまとめ


イギリス(ロンドン)
POST/POP RECORDS
※ここで試聴できます


アメリカ(シアトル)
Lost Sound(tapes and records)


日本(福岡)
Duenn(ダエン)

(上記以外にもまだまだ…)




検索してみるとたくさんヒットする。
アメリカ西海岸のギターポップやドイツらしい硬いエレクトロなど
ジャンルはばらばら。デザインも尖っているものから、
味のある質感のものまで。(なんとまあ...)




カセットテープは音楽を好きになりだした高校生の頃、
CDをレンタルしてはひたすらテープにダビングし、
お気に入りのmixテープを作るということを繰り返していた思い出がよみがえります。

その時はテープしか記録媒体がなかったので、CDよりも音質が悪いとか
曲の頭出しに時間がかかるとか思わず何も不満を感じることはありませんでした。

大学の頃にMD-DATAに記録するMTRを購入し音楽を作りはじめましたが、
MTRから曲をトラックダウンする先はカセットテープでした。

まさにデモテープの時代

なので、カセットテープで曲をリリースするということ自体は
自分にとって何も新しさはなく、時代が一周している感もありますが、
今回、あえてテープで作品を公式にリリースするという依頼をいただいて、
その意味を考えるとても貴重な機会になりました。

リリースイベントの前にspace dog recordの
オーナーである河原拓宏さんがおっしゃっていた言葉を
まずは引用させていただきます。




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「カセットテープへの招待」




音楽とはとどのつまり空気の振動であり、
あなたの耳がデジタルでない限りアナログなのです。

昨今レコードやテープが見直されているのは
決してCDより音がいいからではなく
アナログ同士、相性が良いからだと思うんです。

興味があるなら、試してほしいです。
でも、あなたの周りにアナログの音楽がありますか?

今の音楽を、いいカタチで聴いてみてください。






アナログとは何か?ということについてはっ!と考えさせられる言葉。

曲を作る際に、アナログの質感、つまり音が自然に耳に馴染むような、
各楽器パートの交わる質感がグラデーションになるような、
音がきれいになりすぎず(音質が良いのと質感がいいのとでは意味が違う)などを
常に意識しますが、出来上がった作品はどうしても再生する媒体の
普及率に左右されリリースされます。

レコードプレーヤー、ましてやカセットデッキが普及していない状況では
作品形態はCDやデータにならざるをえないこともあると思います。

このことがいいのか悪いのかということではなく、
音の質にはたくさんの種類があって、
より人の感覚に近い音がアナログの質で、
それを聞くことのできるもののひとつに
カセットテープがあるということ。




自然の音が好きで、近くの公園や遠出をして森に行くことがありますが、
そこで聞こえる川のせせらぎ、鳥の声、虫の音、風と木々の音なんかを
聞いていると、いつまでたっても耳がしんどくない上に、それの一部に
自分がなっている感覚になることさえあります。

推測ですが、アナログの音というのは、本質的には
アンプなどで増幅せずに、それがそのまま空気を振動させて
伝わる音のことを意味するのではないかなと思います。

そういう音であれば、ずっと聞いていても疲れないし、
たとえ音量が小さくても人の耳で捉えることができるし、
静けさの中のかすかな音は、
いつしか感覚が研ぎ澄まされていくので、
それは決して小さな音ではなくなるかもしれません。




カセットテープは曲の電気信号を磁気に記憶させている構造であるため、
再生する際は、磁気を読み取る時に発するノイズや再生音、
テープへのトラックダウン時にわずかに収録されてしまった
ノイズも一緒に鳴ります。

それらは、今この時、まさに時間が進んで音楽が鳴っていることの証拠であり、
テープに込められた音楽が解放される際の音楽的ノイズです。

大げさかもしれませんが、もはやデータがそのままデータとして再生される
今の世の中において、あえてカセットテープで音を聴くという行為は
決して時代錯誤ではなく、自分の耳がアナログであるという感覚に気がついたり、
空気の振動が今まさに鳴らされていることにわくわくするための
絶好の機会になりえると思います。




学生の頃、収録時間を計算して、音量のダイナミックレンジや鳴り方を
試行錯誤しながら制作したカセットテープへ、
それ自体の存在へのオマージュ(=敬意)の意味も込めて、
今回の楽曲『Tape』にはメッセージを込めました。




Lyric

Let me tell you what (the) time is.

Let me tell you what (the) noise is.

Play a tape

Forever we love you with warm sounds.

People know forever still love you
in making sounds.






リズムトラックには自宅のカセットデッキの再生、停止音、
ノイズ、テープの挿入音、振動音などのサンプルを使用しています。

冒頭と最後に聞こえるサーっというホワイトノイズは
意図的にSEとして入れています。

DL音源をPCなどで聴いていただく際にも
この曲はカセットテープに収録されている音楽なんだということを
少しでも感じていただきたいという意図です。

どこかレトロな雰囲気を醸し出している
ギターの音色は絶妙で、メロトロンで弾いているような
blofeldの音と後半に登場するfluteのかすれ具合とも
相まってとてもぬくもりのある音楽に仕上がっています。

そしてそれらを導くかのような中域に特徴を出した
雫のvocalがレトロフューチャー的

テープのための音楽

その想いを込めました。




自分たちの耳が、鳴らされている音ではなくて、
鳴っている音を鳴っているままに聞くこと

それが素晴らしいと思いますし、
その行為がそもそもアナログな行為であると
今回のカセットテープでのリリースに関わって
改めて思いました。




7/24のリリースイベント直前まで
印刷、パッケージングなど制作作業をしていただいた
space dog recordのタクさんに心から感謝しています。

そして、素晴らしい楽曲でスプリットさせていただいたA.C.E.さん、
時間のない中、art workを制作してくれた雫にも
心から感謝しています。

ぼくらの想いが込められた『Reflection / Tape』(Format: cassette tape)
ぜひお楽しみください。




建水




◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇


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ご注文はtinörksのofficial siteから

Format: cassette tape
販売価格: 1,000円 (税込)
※DLコード付




[収録曲]
A面 A.C.E. / Reflection (To tape from hard disk)
B面 tinorks / Tape




※ダウンロードコードが付いていますので
カセットデッキをお持ちでない方も
PCやスマートフォンでお聴きいただけます。

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2015-06-21

隙を作る

ikiwonomu(いきをのむ)第一回マイム公演「かつての風景」
いよいよ明日が千秋楽です。

まだ終わっていませんが、すでに感慨深いものを感じているのと、
今日、とても大切な気づきがあったので、
どうしても書いておこうと思いました。

今日の公演に、いいむろなおきさんが来られて、
終演後に役者の方々へお話しをされていました。

(いいむろなおきさんはマイム俳優・演出家・振付家であり、
マイムの世界では、神のようなお方です。
youtubeに動画がありますが、
ジャンルは違っても何かしら表現をされているかたが、
いいむろさんの表現を見ると、間違いなく鳥肌が立つと思います。)

僕はご存知の通り、役者ではないですが、
幸運にも、その場に同席させていただくことができて、
(誠に恐縮です)
お話しを拝聴することができました。

そのお話の中で、「演技が上手すぎて切れがありすぎる」、
「お客さんが入り込む余地がもう少しあってもいいのではないか」、
「お客さんにもう少し隙を見せても(魅せても)いいのではないか」と
いう風なことをおっしゃってました。

誤解を恐れずにいうと、
作品の善し悪しや批評をしているのではなく観点と手段の問題です。




ここからは、より個人的な考えを書きます。

表現を極めている方のお話しは
表現の垣根を超えて、どのジャンルにも
あてはまることが多々あります。




さきほどのことを音楽に当てはめて考えました。

「演奏が上手すぎて(隙がない)、だから、聴き手が入り込む余地がない」

(決してtinörksのことを言っているわけではなく
観点を音楽に変えているだけです)

超絶技巧は素晴らしいし、一音も間違えずに何十分にもなる曲を
演奏することももちろん素晴らしいと思います。

僕にはできませんが。

けれど、好きな音楽、好きな表現の世界は、
作り手と受け手が、自然体で同時に存在できる世界です。

それを実現させるために、音楽の知識や技術を最大限投入するのがいいなあと。

音楽の構成、演奏にあえて隙を作る。隙を見せる。

言葉だと簡単に書けますが、これほど難しくて、
そして自然体で魅了できるものはないのでしょう。

少し偉そうに、推測を交えて言うと、
言葉でいうよりも深く伝わるから、それをマイムで表現するように、
言葉や絵、写真よりも伝わるから、音楽を奏でるように、
それらは、できるのにしないという、一種のぎこちなさを
あえて行っている。

けれども、人はそのぎこちなさの中に、
自分の解釈が存在できる安心感を感じたり、
こうでもない、ああでもないという無限の広がりを
感じれる生き物でもある。(と思う。)

つまりは断定せずに、肯定するということ。

隙がないのは、その表現を「断定している」のかもしれない。

観るものを圧倒し、魅了し、感動させてくれるほどの完全なる「断定する」表現。

それはそれで素晴らしく美しいし、それを目指すべきだと素直に思う。
(なかなかたどり着けなく、何回も頓挫しそうになるが)

けれど、人は何かしら不完全であり、不完全なものに安心感や共感を覚えると思う。

そして重要なことは、その不完全さは意図的に作り出すのではなく、
表現の中で自然に出てこなければならない。




「意図せず、隙を作り、不完全だけど完成している」




言葉で説明すればするほど、遠のいて行く気がするこの言葉。

この考え自体も不完全に完成している状態、つまり答えがないままの答えという状態が
もっとも適していると思えてくる。






「空の余白」の詩の中に

「言葉としぐさの余白 埋めないで」

という一節があります。

「かつての風景」の作品を見て、
断定せずに肯定することがどういうことか
教えられた気がします。

演じる人にも隙が必要なら、作品そのものにも隙が必要

音楽も同じだと思います。

そして、いつの時もそのことを忘れずにいたいと思います。




歩星

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