2012-11-21

ピアノ曲

先日の記事に書いたsel.という曲ですが、
それも含めてずーっと以前に書いたピアノ曲をいくつか
まとめてupしたので、よかったら聴いて下さい。

「a curved line of the piano」[ピアノ曲線]


以下、ざーっと簡単ですが曲解説。


1. sel.=selectionの略 生きるということは選択の連続だということをテーマに書いた曲です。
シーナ・アイエンガーさんの選択の科学が最近では興味深いです。
ピアノはYAMAHAのアップライトピアノ。レコーディングした場所はカナダの
バンクーバー ノースショアのDCM studio。
3時間で録音、ミックス込みで確か90ドルくらいだったと思います。
ホームステイ先からすぐの所に運よくスタジオがあって、数日通って曲を書いて
真夜中にレコしました。


2. the potate eatersは邦題「じゃがいもを食べる人たち」オランダの印象派の画家 V.ゴッホの
有名な作品から引用しました。
その絵には19世紀のオランダの貧しい農民が一日の過酷な仕事をやり終えた後の晩御飯を共にする
風景が描かれています。
じゃがいもたったひとつも人が一生懸命作ったことによって生まれるという、当たり前な
ことなんですが、曲を書いた当時、それがとても哲学的で魅力的なモチーフでした。
今でも、ゴッホやミレーなどの描いた農民をモチーフにした作品から学べることは
多々あります。

3. forest(邦題は森のはじまり) これも1. sel.と同様にカナダのdeep cove music studioにて
夜中にアップライトを弾いてオーナーさんにレコーディングしてもらった曲です。
とても小さな植物の芽が出始める頃の様子を表しました。

4. charonia tritonis(邦題 ほら貝の町) ほら貝を擬人化して物語の一場面に合うように作った曲です。
ほら貝がたくさん暮らす港町のいつもの光景で、後ろの方でうっすらと鳴るBGM的なものを
意図しましたが、今考えると曲と場面がマッチしていないと強く思います。

5. go home tinorksでhomingという曲がありますね。コンセプトは同じです。帰巣。

6. eco ecology 生態系。地球にやさしいエコという表現に限りなく強い違和感を感じます。
正確には地球にやさしいのではなく、人にやさしいエコだと思うので。

この曲では焦点を地球とか環境とかそういう大きいものではなく、身近な人に絞ってます。
人に優しく。当然厳しさも包含して。古き良き昭和の風景的なものにフィードバックしそうですが、
今では、良いと悪いの判断を自然に教えてくれる生活環境はとても貴重だなと思います。

以上、曲解説でしたが、本作品は古い音源なので、音質にも演奏にも難がありますが、
曲を書く時に頭のどこかにピアノ的な音の重ね方(建築ピアノと名付けてますが)が
あるのは今でも変わらないとつくづく思います。

DAWから始めた人はコピペというか断片的な音の捉え方が普通にできると思うので、
それはそれで羨ましいのですが、自分は手ごね的な響きが根底にあると思います。


というわけで、sel.という曲の一部をeditした『ニカ・フユース』の告知動画。
もう明後日ですね。こつこつ事務作業に追われてます。

当日は涙をこらえとこ。


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2009-03-29

空間に音を置いてくる

今日はほんとに久しぶりにピアノの曲を作ろうと思い、
白鍵と黒鍵に向き合いました。

アンビエントなピアノ。

ブラインアン・イーノとハロルドバッドがコラボした曲や
「トニー滝谷」の教授が弾くピアノの質感や雰囲気がとても好きで、それらに影響されたものがアウトプットされそう。

空間に音を静かにそっと置く。

置いてくる。

間がとても重要。

間を演奏することは、ずっと課題です。

譜面に書き留めながら、わずか10小節ほどですが、進みました。

また曲が完成したらアップします。

タイトルは『noting』

色んなことに気付く、気付かされる。
気付かなきゃいけないことが周りに多いので、
自分への訓戒のような意味を込めてます。

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2008-10-25

pic

『pic』

Pool_1_2 

という楽曲をMy Spaceにアップしました。
ピアノ曲線1.8に収録する曲です。

piano+synth+noiseが混ざった構成で、ピアノ曲線1.8のジャケットのオブジェのテーマとして
書きました。波形編集を所々に施したので、従来のピアノ曲線1.5の内容とは、隔たりがありますが、ピアノ曲にこういう形があってもいいんじゃないかと思ってます。

ミニマルで冷たい感じ。

コンクリートの内側で共鳴。

はじかれた音がシャボン玉のように割れて繰り返す。

地面が少し波打つ。

それが天井と側壁に伝播する。

空間に穴が作られる。

そこに音が入って消える。

そこに近づく。

イメージ画像でアップしているのは、プールの中に光が差した光景です。

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2008-10-19

upgrade

『ピアノ曲線1.5』の在庫が完全になくなったので、少し補充をしようと考えています。
新しく補充する分からは、『nayuta』と同じ和紙を使用する予定です。

それに伴ってデザインも変更し、1,2曲追加し、タイトルも『ピアノ曲線1.8』くらいにする
予定です。

versionがupgradeする音源。

デザインも大方決まってきて、追加する音源に着手してます。完成したらまたブログか、My spaceで試聴できるようにしますので、よかったらお聴き下さい。

あと、できればその音源をフォトシネマに取り込んで、映像的(動画ではない)なアプローチも考えてます。今から年末までレコーディングがどのくらい進ませれるかが課題です。

ヤネトロニカのレコーディングもせねば。。。

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2006-09-30

和声主義における建築ピアノ

9.jpg














雲州堂にて『daydremer vol.3』にお越しいただきまし
たみなさま、CDをお買い上げいただきました方々、共演者のみなさま、スタッフの方々、そして主催者の健吉さん、副主催者のイクラちゃん、本当にありがとうございました。

ピアノソロでのライブは一年半以上ぶりでした。しかもインストのアーティストばかりが出演するライブはもちろん初めてだったので、いつになく新鮮でした。

インストを愛するみなさんに感謝して。

それでは今回のセットリスト。

1. じゃがいもを食べる人たち

MC

2. 僕らが海へ渡る日
3. プランクトンの日記

MC

4. Inisheer (guest:Shizuku Kawahara on tin whistle of GFM)

MC

5. eco



1曲目「じゃがいもを食べる人たち」は敬愛するオランダの画家V・ヴァン・ゴッホの同名の作品から、それに触発されて書いた曲です。労働者を讃える音楽。

2曲目「僕らが海へ渡る日」はこの日のために書いた新曲です。葛藤や矛盾の先にもいつか希望が開ける時が必ずやってくるんだという願いと信念を込めた音楽です。ちなみにモチーフは大亀とクジラです。

3曲目「プランクトンの日記」は古代からプランクトンが今もこの先も日記を書いていたら面白いんではないかなというコンセプトです。プランクトンの擬人化。中間部のアドリブの部分が特徴的です。

4曲目の「Inisheer」はアイリッシュの伝統音楽。17世紀頃に作られたと聞きました。この曲だけcappuccinoの雫にウィッスルを吹いてもらいました。Bメロのコード進行をマイナー調にしたので知っている人にとっては違和感があったかも知れません。僕はマイナー調の方がクールなのでぐっと来るのですが…。

5曲目「eco」思いやりとゆとりと…人が人らしくということがコンセプトです。主題のメロディーが冒頭と最後に出てきますが、人が心にゆとりを持つと、世界が広がっていくんだということを表現しました。

リハーサルの時にシールドに起因するノイズの問題、音質の問題がありましたが、なんとかクリアでき本番に臨むことが出来ました。やはりカナレのケーブルは今ひとつ信用に欠けると痛感させられました。健吉さんが使われていた有名なモンスターケーブルを早急に買うべきだと心底思ったわけであります。

それにしてもインスト限定イベントの雰囲気はいつものライブと全く違うものでした。いつものライブとはいわゆる歌モノで、言葉があるというのが前提なわけですが、インストは音だけで表現しないといけないわけで、自ずとメロディーや構成、アレンジ、展開、奏法などに趣向を凝らす必要が出てきます。

今回ギターの方が3組出演されましたが、ギターの奏法がこれほど多くあるのかということに改めて驚かされました。そして楽曲の良さ、質の高さはさることながら、何よりもその奏法が超越技巧の域に達しているのがうかがえます。

風景がパノラマに広がっていくMelrynさんの音楽。

MCからすでにリスナーの右脳を刺激し、映画のような物語性にとんだ音楽を奏でる居倉 健さん。

雲州堂の暖色系の照明のようにいつのまにか心を落ち着かせてくれる音色、リズム、抑揚を漂わせたわたなべ ゆうさんの音楽。

歌を弾き語るギタースタイルとは完全に一線を画す3者のギタープレイはまさに右脳にとってこれほど効果的なサプリメントはないとも言えると感じました。

ところで、

ギターとピアノはある意味相反関係にあって、それはどういうことかというと、ギターは音域を捨てる代わりに奏法を発達させてきて、一方ピアノは奏法を捨てる代わりにハーモニー(和声)を発達させてきたということと言えると思います。

3組のギタリストの方々の演奏の中にはそのアーティストをアーティストたらしめる独特の奏法が随所で登場します。つまり奏法がアレンジの一部と化している点がとても興味深いわけです。一方、今回、ピアノは僕だけだったのですが、ピアノの欠点は一度鍵盤を打鍵するとその音色を変化させることが出来ないわけで、自ずと和声の展開いわゆるハーモニー主義にならざるを得ない部分があります。ピアノの歴史はハーモニーの歴史であるとも言えるのではないかなと思いました。

僕が勝手に提唱している建築ピアノというのはまさに和声を建築化して考えることにあります。

しかし、シンセサイザーが登場し発達してきた現在、キーボーディスは音色変化も加えての独自の奏法を手に入れることができたわけです。

イベント最後に登場した健吉さんはあらゆる奏法を駆使しながらの圧巻な演奏をされてました。ピアノを超える音域、ハーモニーをDNAに持ちながら、時間の流れの中で音色を意図的に変化させられるシンセサイザーは、出し尽くされたピアノのあらゆる要素をまだ進化させることができる楽器だと言えると思います。

僕自身シンセサイザーの魅力にはまり、並々ならぬこだわりもあります。しかしながら、それでもピアノで作曲、演奏する時は、ハーモニーにこだわりたいと思っています。ある意味に置いて時代錯誤的な面は否めませんが…。

強引に絵画的に例えると、色彩を追求するか、水墨画か。違うかな。(笑)


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2006-09-15

建築ピアノライブ フライヤー

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9月30日(土)雲州堂でのインストライブ『Daydreamer vol.3』のフライヤーを主催者であり、シンセサイザー奏者の健吉さんからもらいました。

ライブの前売チケットは前もってメールしていただきたのですが、当日の予定がはっきりしない方は、このフライヤーを持参していただくとチケット予約をしていなくても前売料金にさせていただきます。

入手方法は前もって雲州堂に直接お越いただくか、cappuccinoのメールアドレスにお問い合わせいただくかして下さい。

そうそう、フライヤーをいただいた時に、一緒に健吉さんのサンプル音源をいただいて聴いたのですが、とても幻想的な音色とメロディーでとても共感できるところがたくさんありました。シンセサイザーを使ってなおかつインストでライブをされているのは珍しいので、30日のイベントはとても音楽的に内容の濃いものになると思います。好御期待!

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2006-06-17

建築ピアノ

archi2.jpg












ピアノ曲線1.5を制作する時から自分のピアノスタイル(作曲、演奏、アレンジ)を建築ピアノという風に定義づけしました。建築がピアノと組み合わさるきっかけは、以前からヨーロッパの建築(A・ガウディ氏を中心に)や安藤忠雄氏の建築物に非常に興味があって、それについて様々な思いを馳せているうちに、これは音楽にそれもピアノに通じるものがあるのではないのかなと思えて来た事に端を発しています。

ピアノ・フォルテという楽器は、オーケストラで使用する楽器のすべての音域を鳴らすことができます。つまり合理的な音域が最大の特徴であると言えます。そして鍵盤の配置も横一列にこれもまた合理的に等間隔に並んでいます。付け加えて鍵盤の並ぶ外観は美しいシンメントリーになっています。

一方、音はといえば、打鍵後にその音(同じ音)を一切コントロール出来なくなります。離鍵して止めるか、減衰をそのまま待つか。

ピアノの低音を建築する時の土台とし、その上のコード(和音)を建築物の中で生活する人、もしくは美術館などの場合、それが展示物にも相当すると考えますが、要するに、内容物として、そしてハーモニーの上の音域でメロディーを奏でるものを建築物のその形体美、またはそれ自体(建築物)の存在価値であるという風に位置づけた時に非常に腑に落ちてしまったわけです。

唄があるピアノ曲の場合、建築物がorganicな側面を強くするということも同時に強く感じられました。まさに、建築物の中で人が歌を唄う行為が、その建築物にそれ自体とは別の価値、意味を与える事になるからです。

単純化して考えると、ピアノの低音域で土台をしっかりと鳴らし(ハーモニーの基礎)、その上にコードという柱を建てその上にメロディーという装飾を施し、そして土台と、柱に支えられた天井、外壁の間に出来上がる空間の中に人が入り、生命を根底とした表現行為を行う様子がとても人間らしく(他の動物とは決定的に違う)思えて神秘的にも思えてきます。

またピアノを基本とした時のアレンジにおいて、まず考えることは、ピアノでいかに空間を作れるかということです。逆に考えるならば、いかに音が鳴っていない音域を作れるかということになると思います。余白の美学にも通じると考えます。

建築においても、いかに美しい空間を作り出せるかがその建築物に価値があるかどうかの一つの基準になっていると思います。光をどれだけ取り込めて、かつ空間の広がりを十分に感じることができ、その空間の中でどれだけイマジネーションできるかどうか。

ピアノでいうのなら、倍音が鳴る余白を作り、音と音の隙間の余白にどれだけ自分が入って行けるかが、ひとつの楽しみ方なんではないかなと思っています。

つまり建築とピアノの音に共通していることは

「どれだけ想像できる余白があるかどうか」ではないのかなと考えます。

意図と偶然の隙間にできる余白または空間が心をわくわくさせてくれるような世界の入り口なのではないかなとも考えることができます。

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