2006-08-28

東京出張 『沈思考帰宅』篇

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作品そのものではなく、その作品の概念や意味に価値を見出す欧米のartに対する考え方を構造的に知って見事に考えさせられました。

作品の価値は、欧米ではいかに今までになく新しいものかで決まり、日本ではいかに模倣できるかで決まるのであって両者は全く違うと。

歴史を見てもこれは明らかで特に近代以降の日本は西洋のものを真似ることで発展してきた、まさに模倣の歴史。

だから日本人は西洋人が発明したものを発展さすことに関しては世界でも飛びぬけた技術を相対的に持っている。

音楽に関して痛切に感じることは、密かに模倣的なものの方がリスナーの心を掴みやすいし、理解できないものには見向きもしない。

しかし、理解できないものに世界の基準で評価(安全保障)がつけられると一転して新しいものとして認知され受け入れられる。

有名な例ではYMOがデヴューしたての頃、自国では全く評価されなかったが、アメリカでのライブの成功を土産に帰ると、評価されるどころか社会現象になるまでになった。

欧米ではartとしての音楽と娯楽としての音楽の線引きがあって、日本ではそれが曖昧であって、理解できない音楽もオリコンを意識する音楽もインディーズの音楽も何もかも全部いっしょの枠に入れられて一般的には考えられている。

「郷に入っては郷に従え」のわが国の先人の教えを無視することはできないが、しかしながら、出る杭は打たれ、コンセプトが奇抜なものは無視されるという島国思想には賛成できない。

それを突き詰めれば結局は共産主義になって、人を個人として扱うようにはならないから。

こういうことを書くこと自体がもうすでに日本主義に反している行為だけど、ただartに関わるすべての分野は模倣からかけ離れて考えて、クリエイトして欲しいと思うわけです。

作品の概念を楽しむというのは、僕にとっては普通のことだけど、日本的ではない。日本的なのは流行を楽しむということ。流行に自分がいかに関わっているかがその人にとって重要であって、他人と違うことなんていかに恐怖で意味のないことか。

他人と違う考え方をもって有限実行することは本当にその人自身に意味があって、称えられるに値することなんです。遠吠えにしか聞こえないかもしれませんが。

チェコ共和国の文化のひとつに有名なパペットアニメーションがあり、少し前に日本でもブームになって評価されたんだけど、チェコが植民地時代にパペットアニメーションを作ること自体を禁止され弾圧されていた中でもひっそりとそれを作り続ける人たちがいて、それがパペットの歴史を止めることなく現在も続く潮流となりました。

そのことはクリエイトの分野においてとても素晴らしいことだと思うのです。

戦後の日本は節操もなくアメリカの文化を躊躇なく取り入れたその結果が、よくあるアイデンティティがどうだとかの議論を引き起こす結果になっている。

過去を単純に否定する気はないけれど、そこから何を考えるかが重要だと思うわけです。

コラージュ文化でも何でもいいのだけど、確信犯的に模倣をよしとすることを周囲が黙認してしまう空洞文化だけは後世に存続して欲しくない。

それだけです。

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2006-08-27

東京出張 『ランダム』篇

『明日の神話』にがつんと頭を打たれた後は、テクノポリスを象徴する高層ビルの間を抜けて、地下鉄に乗り六本木にくりだし青山ブックセンターで催されている大貫妙子さんの「本がもたらす楽しい暮らし」~わたしと一緒に引っ越してきた本たち~を観ました。

青山ブックセンターは一日つぶしてずっと立ち読みしていたいほど好きな書店です。インテリア、置かれている本のはしばしにしかけを感じるというか、ネットサーフィンを現実の世界で行なっているのに近い感覚を受けます。ここで前日にSWITCHの広告で知った村上隆さんの新刊と安藤忠雄さんのNHKブックスを購入。

村上さんの本は何度も目から鱗でした。帰りの列車内でもずっと読んでいたほど...。時に過激な発言に説得力を感じます。

その後六本木ヒルズでドライミストを浴び小休止もほどよく、池の宇宙めだかを観察。ほどなくして、神保町に移動。古書街を散策。数件立ち寄る。

昔からあるだろうその内装や雰囲気にただならぬものを感じました。アフリカの写真集をさがしたけれどなかったのであきらめました。岩波文庫が意外な値段だったので欲しいのも買えずじまい...。

雫が「ゲーテの色彩論」を探していると言っていたので、注意してみていたが発見できず。どこの出版社とか調べとかなあかんでと思いつつ...こっそり愚痴をこぼす。

古書街もほどほどにして、渋谷に移動。スクランブル交差点は息が詰まります。いかなるものにも目もくれずタワーレコード渋谷店に駆け込みました。ここでは六ヶ所問題に連動したTシャツを買う為。

stoprokkasho Tというプロジェクトが開始されたらしいという情報を得ました。店内くまなく探してもないので店員に伺うとまだ入荷していないとのこと。まさにフライングでした。

仕方なしにCDを見る。いつも探していていつも在庫がないスウェーデンの「sogar&swing」の在庫を駄目もとで尋ねてみると、なんと3種類あると!そのコーナーに案内してもらうと「sogar&swing」の仕切り版があり確かに3種類ありました。奇跡というか、さすが東京刺激のメトロポリスというか。

東京にないものは存在しないのかと思いさせられました。またアメリカのタワーレコードが丁度破綻した時期に矛盾した現象のひとつに出くわしたようなそんな気分です。

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しかしながら、欲しかった「sogar&swing」のファーストアルバム(日本ではキューピーのCMで使われたことがある曲を収録)はなく(当然か)、それ以降最新作までの3枚でした。3枚欲しいのはやまやまでしたが、東京に来た時点で財布が消耗している事実が欲求を抑制したため断腸の思いで1枚だけ買うことにしました。

その時点ではどのアルバムが最新作であるとか、どういう特色があるのかまったく分からなかったので、おみくじをひくような感覚で選ぶわけです。結果、2ndを買うことになったのですが...。

それにしてもマニアックなCD、例えばパンデイロのマルコス・スザーノと沼澤さんのドラムとパンデイロだけの音源や、エレクトロニカのテーリタームリッツの新譜などが試聴できるというのは、マニアにとってはなんともありがたいサービスです。あとトンコリ奏者のOKIさんのCDもあったなあ。貴重すぎる試聴。

「sogar&swing」のCDを確保しつつ、ドイツのレーベルのコンピ(エレクトロニカ、フォークトロニカ)を試聴し、ジャケットと音がものすごく気に入った(気に入るというよりもその瞬間の心情にあったというか...。)ためそれも購入。財布の泉が見事に枯れます。

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ちなみに「sogar&swing」の音を説明すると、オルガンとドラムの2人組みで曲はすべてインストです。音数が少なくてメロディーが北欧的なのでその気候を象徴するかのように全体的にずっしりしています。しかし、オルガンの音数の少なさ、見せびらかさないそのメロディースタイルと、一方では音圧、リズムパターンがオルガンのそれらに協調するドラムがなんとも言えず落ち着きます。誤解を招くかもしれないけれど、娯楽の音楽ではなく慰めの音楽に近いかもしれませんな。(そもそも音楽に諭しなんて必要ないわけです。)

僕が欲しかった1stアルバムはジャケットがフクロウの顔のドアップで、アマゾンでは在庫が確か1つあったと思います。じゃあそこで注文すればいいと思うかもしれませんが、東京のついでということが先行したわけで...。

そういうわけで、日が暮れ東京・品川を後にしました。

高層ビル街の窓に反射する無数の陽の光が残像になって頭を休めてくれない中、帰路についたわけです。

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2006-08-25

東京出張 『明日の神話』篇

多作でのライブから一夜明け、早速東京ウォークを始めました。とりあえず汐留に向います。
『明日の神話』を観る為に。実は東京に来たかった理由はライブと同じくらいの比重で岡本太郎の大作をぜがひにでも心に刻みたかったというのもあるわけです。

慣れた振りして山手線を使い新橋駅から日テレまですぐでした。

団体でスタッフの方から作品の概要の説明を受けいざ壇上にあがり、両目を見開いて『明日の神話』を凝視しました。

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高さ5m、幅30m、厚さ数センチのコンクリに原爆が落ちた瞬間を描いた芸術。
太陽の塔とほぼ同時期に作られたこの作品からは、やはり岡本太郎の反骨精神が感じられました。
しかし、作品の規模に驚かされるも、鑑賞前に概要を説明されるも、何かまだピンときませんでした。感動の種類が違います。

感動には2種類あって、ひとつはその場で瞬時に心動かされるものと、もうひとつは時間の経過と共に、ゆっくりと心が動かされるものです。

『明日の神話』は後者に値しました。

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原爆の落ちる瞬間中央で爆風に引き裂かれるガイコツの顔はかすかに笑い、その炎は中央少し左から右にかけて猛威を振るい、周囲の人々、動物をも焼きつくす。

しかし、その魂は左へと流れ、新たなる生へと生まれ変わろうとする。生命のダイナミズム。輪廻。

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逆境にたたされた時こそ、生命が燃え上がり、希望が生まれる時なんだと教えてくれているような錯覚に捉われました。岡本太郎ならではの叫びに叱られたような...。

「リスクのないことを、なにぬるま湯に使ってもがいてんだ、おまえは!そんなものは芸術でも表現でもない!」と聴こえて来るから、岡本太郎の作品に触れるといつも頭を打たれる。

言い返せないから、また頭を打つ。悔しい気持ちではなく、これだけ表現してもいいのかと思わせてくれるまさに表現に置いて珠玉のエネルギーをもらえるわけです。

チャッチコピーが「Be Taro!」。本当にそのとおり!。もっと表現しきっていいと促してくれていると解釈した時、体が琴線が未来が波状に震えました。

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一時はその行方さえ分からなくなった作品だけれど、敏子さんの尽力、熱意に多くの協力が集まり、慎重に復元され、こうして目の前で多くの人にそれぞれの解釈を与えてくれる強い作品に出会えたことに心から感謝しました。ふと横を見ると雫が泣いていた。え、感受性の許容範囲を超えたか...。

この先の将来にいくつもの困難があるのは間違いないわけですが、その場面に出くわした時にこの日のこの爆発を記憶の中から引用して抵抗できればと思っています。

生命を燃やすと、すべてのものが生き生きとするに違いない。

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2006-08-24

東京出張 『楽曲』篇

東京で活動するアーティストと大阪で活動するアーティストの一番大きな違い(相対的なものなので注意してください)はおそらく楽曲の中の「しかけ」にどれくらい気を使っているかどうかだと思います。

自分が言うのもなんですが、技術や実力はさほど変わらないと思います。逆に考えると本気でやっている人は場所に関係なくみんな上手いわけです。

アレンジにおける「しかけ」。

弾き語りの人は唄以外の部分、例えばイントロや間奏にものすごく気を使っていると感じました。

言葉を変えると、聴いている人をいかに飽きさせないか。

もちろん唄の部分に置いても「裏メロ」は「裏ハーモニー」は楽曲作りに置いて必須であるかのように感じることができます。

東京はインディーズアーティストの数が半端ではなく、その中で他と差別化を図ろうとすれば、楽曲そのものをいかに魅力的なもの、オンリーワン的(オリジナリティではない)にするかが問われます。それと比例して、リスナーの方も耳が肥え、退屈なアレンジにはぐっとこないようになります。

これを突き詰めていくとお客さんを増やすという意味に置いて結局は今流行のJ-POPのエッセンスを踏襲することになるのですが、それが東京という特殊な環境においては知らぬ間に肯定されていくわけです。

このことは東京以外を否定することではなく、創作することに置いてアーティストはいったい何に「重き」を置くかを書いています。

2日目の街散策でも肌で感じましたが、東京は街のいたるところにセンス、アートの仕掛けが溢れ、その中で暮らしている人たちはその刺激を知らず知らずに享受し、そのうちに中途半端な刺激では琴線が触れず、より琴線を振るわせてくれる刺激を求めるようになります。

その結果あわゆるものの創造と破壊が繰り返され、その波紋が少なからずインディーズの音楽にさえも影響を与えていると考えることができます。

そう考えると東京だけで活動することが「創作」において完全にプラスにならないと思えました。効率や合理性と言う点では、東京はこの上なく魅力的な場所に違いないわけですが、自分との対話という点ではあまりにも急かされる場所、環境、仕組みであると。

世界的に考えるとアートの拠点であるNYの対極にある北欧の環境の縮図のような、東京と大阪(誇張しすぎの面あり)。

東京で活動するアーティストの意識を知り、そこから一線をおいて創作、活動すること。これが今の等身大ではなかろうかと思いました。



東京を決定的なものにしない自分が大阪で活動する無意識なる意味がなんとなく分かった夜でした。

本番前の黙打。

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2006-08-23

東京出張 『Live at 多作』篇

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22日9時ごろから出演。ひとまず以下にセットリスト。

1. Down by the Sally gardens (Irish trad)
2. ひとつのショコラ (re arrangement)

MC

3. fire a salute
4. Hoist the sail

MC

5. 千年

MC

6. ユニコーンは砂時計をみつめる

前回のミノヤライブの選曲をベースにボンゴをデジピの右に置いて叩いたり、ユニコーン~の楽曲を加えました。

3曲目が終わる辺りから徐々にお客さんの反応が伝わってきました。ウィッスルとピアノのユニゾンは、曲を知らなくても楽しめのかなと東京においても思いました。

無条件に興奮するというのは原始的だけれども、それだけに分かりやすさがあるということだと再度認識しました。

それから、去年にライブをした四谷天窓.comfortと比べるとやはりお客さんの種類がまた違いました。当然のことだけれど、各会場のお客さんの嗜好と雰囲気を理解するのは時間がかかります。

cappuccinoは唄だけをゆっくりと聴かせて流行のバッキングで演奏するスタイルとは違うので、そこに違和感を持たれる方が多いというのも肌で感じました。

しかしながら、やはり感受性の極度に強い方は新鮮に受け取っていただけたようです。

聴いていただきました皆様、CDを買っていただきました方々、共演者の皆様、スタッフの皆様本当にありがとうございました。m(_ _)m

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それにしても2回目とはいえ東京でライブをすると大阪との違いが新鮮です。

ホールのPAの方の動き方がまるで違うこと、共演者の方の音楽に対する姿勢、意識、アレンジ、またセットリスト表の形式、転換時の仕方に至るまで。

その中でも特に興味を持ったのが東京で活動しているアーティストの方の楽曲について。

去年の東京ライブと合わせて考えるとだいたい楽曲の傾向が見えてきます。何に重点を置いているのかなど。ただこれはアコースティックなジャンルに置いてだけれど。

To be continued...

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2006-08-22

東京出張 『初日』篇

'05 7月の四谷天窓.comfortでの東京ライブ以来二度目の出張。今回は渋谷の「多作」。

7月に突然お誘いのメールが来たのがきっかけで出演させてもらうことに。

前回はなかったボンゴが増えて荷物がかさばる。そんなこともあまり気にせず新大阪からのぞみでいざ上京です。

乗車してまもなくビジネス駅弁なるものをほうばり、iPodで音楽を聴きながら自己催眠にかかったように眠る。

3時間弱があっという間に夢の中で過ぎて品川駅に到着。駅がまぶしく内装のセンスに刺激を受けながら、慣れた振りをして山手線に乗り換える。

前日にスタジオ予約をしている五反田駅からすぐのスタジオ・ペンタへ向う。五反田にエレベーター、エスカレーターがないことにちょっとばかりあせる。ボンゴと膨れ上がったリュックをキャリーカートにくくりつけている為、それを持ち上げて階段下まで下りないといけない理由。

迷うことなく予約時間よりも30分早めにスタジオ到着。料金を前払いで支払う。スタジオの備品として置いてあったサンレコを読んで時間を潰す。

ライブハウスのPAのことや高木正勝さんのライブのことなどが書かれてあり、見事に興味をそそられる。

ふと見上げると液晶のモニターにその高木正勝さんの特集で紹介されているライブDVDの映像が流れていることに気付く。

南さんのグランドピアノと高木さんのアップライト・ピアノとのセッションライブ。あまり聴いたことがないコードのリフが繰り返されその上にどんどん重ねられる南さんの抽象的なピアノ。

少しの間映像に見とれる。

生ピアノの倍音にやはり納得する。

次にポンタさんの特集が組まれたドラムマガジンに目を通す。新譜のインタビューが面白く残りの時間それに費やす。

5分前になるとスタジオに入り準備する。コンクリート打ちっぱなしの部屋。デジタルピアノのスタンドが立奏の位置になっていて下げることも出来ず、ドラムの椅子を無理やり上げて対応する。

予定曲を通しでやり、部分的にやり、アイリッシュトラッドをウィッスルとボンゴだけで合わす。

ランプ点滅5分前になり、ハードロックが好きそうな店員さんがおもむろに入室して片付け始める。

ボンゴの片付けに手間取るがなんなく時間通りに退室。

予定より少し早いが、山手線で渋谷に向う。

ハチ公前と反対の出口から会場へと歩く。場所が分かりづらく少し迷うが、ほどなくして会場入り。初対面のあいさつを済ませ、セットリストなどの書き物を提出。

会場の雰囲気をながめる。思ったよりも色んな設備が凝縮されている印象を受ける。

そうこうしているうちにリハーサルの時間が来る。デジタルピアノはヤマハのP-250。分かっていたがその奥行きが気になる。ボンゴをセッティングし、集中してリハーサルを行なう。ピアノの返りのことでPAの人に少し注文する。

雫は何も注文を言わず。気になるが、後で聴くとかなり唄いやすかったということで安心する。

楽屋や本番の段取りなどの説明を受けた後、ボンゴとウィッスルを持って会場を出る。

JR渋谷の駅前広場のような所にもどり、ボンゴをセッティングしウィッスルと合わせアイリッシュ・トラッドを勝手に演奏する。初めてのストリートライブなるものを行なう。

人通り激しくても、ビラ配りの方がいても緊張しても、どこ吹く風のごとく気にせず集中する。

行き当たりばったりなので、身も蓋もない結果が待つ。

日が暮れたので多作にもどる。本番の準備。

今回は「Piano Magic」というピアノを使ったイベント。

1番目の棟近サトシさんはピアノ一本で弾き語り。楽屋で話すとちょっと前に大阪ミナミのフラミンゴに出演したとのこと。あと大阪にも住んでいたことがあると。なんと奇遇。

独特な楽曲と味のあるピアノリフ。

右脳が揺れる。

2番目のnowhereさんは女性のヴォーカル、アコギ、男性ピアノのユニット。

演奏技術が半端ではない。実践教則DVDを見ているかのようなピアノ奏法。ほとんど繰り返しがない。目まぐるしい和音展開と高度な奏法による裏メロ。

右脳が揺れる。

次の転換時に「となりのトトロ」の挿入曲「風のとおり道」が流れ久石節に共感する。

3番目は大阪から来られた桜夜さん。

ピアノの弾き語りに加えて、後半からカホンのサポートの方を加えてのステージ。

迫力ある唄とカホンの味のあるタイトな音色に右脳が持って行かれる。

楽屋へもどりいつものように集中、瞑想、違うことを考える。

転換。鍵盤確認。一度楽屋にもどる。

そしていよいよ本番の時がやってきた。

To be continued...

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